特別になりたいという精神性と禅における日常への回帰

「仏教とは元来、仏の教えであり、また仏になるための教えである」(注1)などと言われます。

実際、瞑想等の仏教の実践をする人の中には、「悟り」などといった特別な状態になることを目指す人もいます。(注2)

しかし、このような特別になりたいという欲求には問題があります。

私が瞑想会等で出会った瞑想の実践者の人たちには、却って、精神的に病んでいるように見受けられる人も少なからずいました。

ツイッター等で目にする人たちも、瞑想をしたり、信仰を持っていたりする人たちよりも、生活の質が低いように思われることも少なくありません。

その理由の一つは、これまでもブログの記事に書いてきたような瞑想自体に扁桃体の活動を過度に低下させるなどの副作用であると考えられますが(注3)、そもそも「特別になりたい」という欲求それ自体にあるようにも思われます。



本稿の構成
1 平等性を否定し、特別になろうとすることがうつ病統合失調症を誘発する
2 不平等な社会における階級上位者により構成された初期仏教教団
3 日常に何の問題があるのか?
4 中国禅における日常への回帰
5 現代日本禅宗にも見られる日常への回帰
(1)概要
(2)臨済宗
(3)曹洞宗
6 仏教実践者の劣等感の問題




1 平等性を否定し、特別になろうとすることがうつ病統合失調症を誘発する



優越感等の「特別になりたい」という欲求の問題点を指摘した心理学者アルフレッド・アドラーは、「普通であることの勇気」を唱えました。(注4)

実際、優越感の充足や利益の獲得と行った「特別になりたい」という欲求が、うつ病統合失調症という代表的な精神障害と関連するということが判明してきています。



まず、うつ病に関しては、次のようなことが言われています。



「初期人類に近い暮らしを続けている(略)ハッザの人々は幸福度や生活への満足度が高く、人間関係も良好であり、うつ状態の程度は極めて低いことが示されたのです。

うつ病を発症させていない理由は、その生き方にあると考えられます。ハッザの人々は、得られた食料は共に暮らしている集団全員で平等に分け合う習慣を持っています。これは厳しい狩猟採集生活の下では、食料を得られるかどうかは最終的に運による部分も多く、得られたものは分かち合わなければ生きていけないという背景があります。平等で助け合って生きるという社会基盤が、孤独やうつ病を発生させない状況を作り出していると考えられるのです。(略)

近年、平等という社会基盤がうつ病と関係することを示唆する脳科学的研究が行われました。他者と金銭を分けるというゲームを実験として行い、自分が損をする場合、自分が得をする場合、他者と公平に分け合う場合という三つの状況で金銭を分けるときの扁桃体の活動量が比較検討されました。その結果、扁桃体の活動量は、自分が損をする場合に高まりましたが、それ以上に、自分が得をする場合に高まることが明らかになりました。

これは、集団の中で自分だけが損をした場合には、生存するために不利益な状況になったという直接的な危機による不安が扁桃体へ伝わり、活動を上昇させますが、自分が得をした場合には、他者に恨みや妬みといった悪感情を抱かせて集団から孤立するのではないかという間接的な危機による不安が扁桃体に伝わり、活動をより上昇させたためではないかと推察されます。

一方、この実験では、他者と公平に分け合う場合には扁桃体はほとんど活動しないことも明らかになりました。公平、すなわち平等という条件は扁桃体の過剰な活動を抑制し、扁桃体に起因するうつ病の発症を抑制すると考えられます。これらを踏まえると、ハッザの人々のように平等を社会基盤として狩猟採集生活を送っていた初期人類は、うつ病に悩まされることがなかったのではないかと推察されます。」

山本高穂「脳の進化から探るうつ病の起源」『第11回 日本うつ病学会市民公開講座・脳プロ公開シンポジウム in HIROSHIMA 報告書』
http://www.nips.ac.jp/srpbs/media/publication/140719_report.pdf

また、統合失調症に関しても、不平等に利益を受けることがその要因の一つとして挙げられています。



後進国では、統合失調症の発症は、裕福な階層に多いという。後進国では、貧しい階層ほど人とのつながりがしっかりと存在し、人間一人にかかるストレスがあまり大きくない。裕福な階層のほうが、精神的な孤立やストレスを味わいやすいのだと考えられる。

このように経済的、社会的環境も統合失調症を予防し、患者を支え、共存していく上で、とても重要なのである。」

(岡田尊『統合失調症』(2010年)193~194頁)



以上のとおり、自分の利益の獲得を目指すような平等な関係を否定する特別な状態を目指すようなことが、うつ病統合失調症の発症の要因となることからすると、特別な境地を目指して、瞑想等の実践をすることは、却って、うつ病統合失調症等の精神障害を誘発することになり得ると思われます。



2 不平等な社会における階級上位者により構成された初期仏教教団



先に引用した山本高穂「脳の進化から探るうつ病の起源」は、うつ病の起源は、農耕・牧畜が開始された頃から、不平等な社会が始まったことに見い出すことができ、近代の資本主義の発達期に貧富の差が拡大したことから、うつ病になる人が増大し、「文明が興った時代以降、人々は階級社会により強いストレスを受け、うつ病うつ状態に陥る人々が存在するようになったのではないかと推察されています」と指摘しますが(注5)、仏教の発生も、インドにおける経済の発展期におけるものであり(注6)、階級社会の発生・進展により、精神を病む人が増えたことが背景なのではないかとも思われます。

特に、仏教がカースト制を批判したなどということはよく言われますが(注7)、しかし、釈尊の初期教団に入信した者は、当時のカースト制の上位者であったとされることは、平等性を否定し、利益の実現を図れる人が、精神障害になり易いことの関係からすると、興味深く思われます。



「教団に出家した者の出身カーストを見ると、カーストの桎梏の苦しみをもっとも味わっているはずの賎民出身者が出家者の中に十指を数えるほどいたかどうかである。

仏教教団の推進者はバラモン出身の者たちであった。初期の教団の構成員はほとんどバラモン出身者たちであった。仏伝の中に賤民出身者の名前が数人出てくるが、それはおそらく珍しいケースとして記述されているのではないだろうか。」

(田上太秀『仏陀のいいたかったこと』(1983年)77頁)



ブッダの教団を形成した四衆(ししゅ)、つまり比丘(男性僧侶)、比丘尼(女性僧侶)、優婆塞(男性在家信者)、優婆夷(うばい)(女性信者)のうち、名前が伝えられている者たちの出身ヴァルナ(種姓・しゅしょう)、すなわちカーストの身分)を、赤沼智善が調査したことがあります。結果はバラモン(司祭)が二百十九名、クシャトリヤ(王族、武人)百二十八名、ヴァイシャ(一般市民)は百五十五名、シュードラ(被差別隷属民)は三十名。不明だったのが六百二十八名でした。男性では、やはりバラモン出の比丘が最も多く、次いでヴァイシャ。女性ではクシャトリヤ、ヴァイシャを出自とする比丘尼の数がバラモン出のそれを上回っています。出家、在家、あるいは男女の別に関わらず、シュードラ出身者は非常に少ない。

仏教は四姓平等、四つのヴァルナの平等を説くはずだったのに、ブッダの在世当時の教団の出身種姓の構成をみる限り、期待外れの感が漂います。」

宮崎哲弥発言。佐々木閑宮崎哲弥『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』(2017年)102頁)



「実際には初期仏教サンガ(僧侶組織)が、クシャトリア、ヴァイシャ出身者で占められていた事情もあり、王権(クシャトリア)による国家的保護や富裕なヴァイシャ階層による経済的支援が保証されていた。」

(小野澤正喜「タイ仏教社会の変動と宗教実践の再編―― 宗教的原理主義の展開と世俗内倫理――」『育英短期大学研究紀要第27号』17頁)

https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/7177/1/02-onozawa.pdf



不平等な階級社会で利益の獲得を目指す人たちが、うつ病統合失調症になり易いことからすると、初期仏教教団の中心がカースト制の上位者という階級社会での勝利者であった理由は、カースト制の上位者であることにより、却って精神的に病み、特別な救いを欲したからではないかと思われます。



3 日常に何の問題があるのか?



宗教は、一般的に、平凡な日常から離れることを目指します。

特別になることを希求するものといえるかと思います。

「すべて宗教とよばれるものは、なんらかの意味で、この日常的で世俗的な営みの世界にたいする否定から出発する。現実の生活をそのままに肯定するところには、真の宗教は生まれない」などとよく言われます(注8)。

現代の若者が、宗教に惹かれる動機として、典型的なものは、「好きな仕事について、結婚して家庭を築いたら、それなりに意味のある充実した人生を送れるのではないか」(注9)ということに対する疑問にあるようです。

私達の人生の価値は、多くの場合、仕事と家庭に規定されますが(注10)、特に、仏教が、本来、「労働」、そして、家庭を築く前提となる「生殖」を否定することは象徴的です(注11)。

確かに、私達の日常生活には、様々な問題がありますし、現実政治は、このような問題の解決を目指すものです。

しかし、問題があるとしても、そのために、なぜ、宗教を信仰する必要があるのでしょうか、また、特別な実践により、特別な境地に達する必要があるのでしょうか。

あらゆる宗教は、何らかの形で、精神的な病を抱えた人たちの当事者グループとしての性格があり、一般社会とは異なる価値観を持つ人たちが、同じような価値観を持つ人たちで集まることにより、精神的に支え合う点で、精神的な問題への対処法となる一面もあろうかと思います。(注12)

けれども、問題を抱える人が、多いので、少なからず、その集団内での問題が生じる例も多いとされます。(注13)

その典型が、カルト宗教であり、カルト宗教に入信したがために、日常が破戒され、普通に仕事や家庭を送るよりも人生を激しく毀損する例は枚挙にいとまがありません。

カルト宗教に惹かれ、そこから逃れられなくなる人の心理に、特別なものになりたい感情があるものとされ、ここからも、その問題性がわかります。



「自分もまた

特別でありたい

と願いながら、しかし、何の確信も自信ももてない存在にとって、「真実」を手に入れたと語る存在に追従し、その弟子となることは、自分もまた特別な出来事に立ち会う特別な存在だという錯覚を生む。

つまり

自分が特別な存在でありたいという願望

が、グルを信じ続けるしかないという状況に、その人を追いこんでいく。それを疑うことは、自分が生きてきた人生の意味を否定するようなものだからだ。(略)

自分が信じたグルが、偽物だということを受けいれることの困難さは、カルトや反社会的集団からの離脱を難しくする要因にもなっているし、そこから脱した後、一時的な危機がやってくる原因でもある」

岡田尊司『マインドコントロール増補改訂版』(2016年)58~60頁)



そもそも、仕事をし、家庭を築くという平凡な人間のあり方のどこに問題があるのかが問題とされなくてはなりません。

私達が、生存するには、何らかの食料生産・獲得につながる労働をしなければなりません。

また、私達の誰もが、生殖により生まれたのですから、家庭を否定することは、自分自身が存在していることを否定するものであり、生殖を否定するのであれば、自死するのが一貫するでしょう。

カルト宗教によくみられる仕事と家庭という平凡なあり方の否定が、却って大きな不幸を招く理由は、仕事と家庭が人間の極めて本質的な営為であるからであるように思われます。

何ら問題がない平凡な人間のあり方を否定することにこそ、ある種の病理、平凡な日常を離れて、特別になりたいとの欲求があるように思われます。



4 中国禅における日常への回帰



仏教は、元々「悟り」という特別な状態に達することを目的とする「特別になりたい」という欲求の実現を目指すものであり、現在も、上座仏教等のように、このような特別な状態になることを目的とする宗派も少なからず存在します。

しかし、このような「特別になりたい」という精神性に問題があることは、2に述べたとおりです。

そして、仏教と一言で言っても多様であり、日常を否定し、特別になりたいと希求する精神性に問題を抱くものもありました。

その典型が、中国唐代の禅ではないかと思います。



「激烈な聖性否定の精神が(略)平凡な日常性の肯定と表裏一体となっている点、そこに唐代禅の重要な特徴があるのであった。」

小川隆『書物誕生――あたらしい古典入門『臨済録』――禅の語録のことばと思想』(2008年)164頁



禅というと、坐禅等の修業によって、特別な境地に達するものというイメージがありますが、中国禅、特に、日本の臨済宗の基礎にある臨済義玄、さらに、師資関係を遡ると現れる馬祖道一ら、洪州宗と呼ばれる一派は、この種の坐禅等の実践により特別な境地に達することを否定し、日常のありのままのあり方を肯定する考え方に立っていました。



禅宗といえば一般に、開悟をめざして坐禅に励む宗教だという通念がある。(略)しかし、初期禅宗につづく唐代禅の盛期、すなわち馬祖以後のいわゆる「純禅の時代」の語録をひもといて看るならば、むしろ坐禅という行の解体と、それにかわる日常の営為の肯定が、その重要な基調となっていることに気づかされる。」

小川隆『神会 敦煌文献と初期の禅宗史 唐代の禅僧2』72頁)



たとえば、臨済義玄は、日本の臨済宗の基礎にあり、その語録である「臨済録」には、坐禅修行を否定する明瞭な記述があります。



「仏を求め法を求むるは、即ち是れ造地獄の業なり。(略)
看経看教も亦た是れ造業。(略)
坐禅観行して、念漏を把捉(はしゃく)して放起せしめず、喧を厭い静を求む、是れ外道の法なり。」

(柳田聖山訳『臨済録』(2004年)127頁)



そして、このような坐禅等により、特別な境地に達することを否定し、日常をありのままに肯定する「聖性の否定は、臨済に限らず、禅宗一般の顕著な傾向のひとつである。」とされます。(注14)

「特別になりたい」という思考の問題性に鑑みると、聖性を否定し、日常をありのままに肯定する唐代禅は、現代的かつ健全な発想を思われます。



5 現代日本禅宗にも見られる日常への回帰



(1)概要



4に述べた唐代の「聖性の否定と日常の肯定」を中核とする禅思想は、宋代に入ると、廃れ、代わって、「見性」と呼ばれる「悟り」を目指すものが主流となっていきました。



「宋代以降の中国禅宗において、最終的に主流派となった大慧宗杲の「看話禅」は,「悟り」の実在を強調することに特徴があった。それはそれ以前の

唐代禅が修行と悟りの価値を否定

し、作為を加えないりのままの本性こそが仏性であるという「無証無修」の立場に立っていたこと、さらにそれを引き継いで北宋初の禅林に流行した「無事禅」と呼ばれる思想傾向と較べ、きわめて特徴的であった。」

(土屋太祐「唐宋禅宗思想史の研究成果報告書」(2016年)1の(3))

https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-25770016/25770016seika.pdf



不勉強で、その経緯を明らかにした史料を知りません。

しかし、禅や仏教に興味を持つ人は、何か日常に不満があり、特別な境地に達したいという人がほとんどであると思われ、臨済義玄のようなカリスマがいた時代は、彼らとの対話=問答により、正気になって、日常へ回帰していったのではないかと思われますが、そのようなカリスマがいなくなれば、日常に問題があるはずだと思い込んでいる人には、「日常に問題はない」と言われても、共感されず、坐禅等の修業により、特別な心理状態に達することを標榜する勢力の方が支持され、唐代禅のような無事禅は廃れたのではないかと思われます。

こうして、日本に流入されたものは、「見性」とも呼ばれる悟りの境地を目指す宋朝禅であり、それが現代の臨済宗等の禅宗につながりましたが、その基礎には、馬祖や臨済の唐代禅があることから、日常性の肯定がその基調に見え隠れします。

実際、臨済義玄の語録である臨済録は、日本臨済宗においても、宗門第一の書であるとされ(注15)、臨済を遡って現れる馬祖道一も、日本臨済宗において、重要な人物とされます(注16)。

以下、日本の禅宗にも少なからず認められる聖性の否定、日常の肯定の系譜について触れていきます。



(2)臨済宗



臨済宗では、悟りの体験とされる見性を目指して、坐禅等の修行がされますが、自他不二の体認を目指す向上の修行の後には、日常世界に戻るための向下への修行をしなくてはならないとされ、最終的には日常性の肯定が目指されます。



「苦労に苦労を重ねて到達した悟りの境地はどうなるのかといえば、例えば「平常心(びょうじょうしん)是れ道(どう)」(略)あるいは『龐居士語録』に「神通及び妙用、水を運び柴を搬(はこ)ぶ」などという如く

日常への回帰に他ならない

のである。」

沖本克己・角田恵理子『禅語の茶掛を読む辞典』(2002年)189頁)



さらに、先の「臨済録」の解釈についても、臨済宗の指導者の中には、坐禅を不要とする無事禅の趣旨を素直に読み取る人もいます。



「世間の人は、禅宗では修行をして佛になる、修行をして悟りを開くのだと言うのであるが、とんでもない間違いじゃ。二十年や三十年修行して凡夫が佛になれるわけはない。修行をしてみたところが煩悩だらけだ。飯を食わねば腹は減る。寝ずにおるというわけにもいかん。

そうではない。人々は修行せんでも、ちゃんと立派なものを持っておると決定(けつじょう)せねばいかん。悟りを開かんでも佛性はちゃんとあると徹底せねばいかん。ご信心をいただかんでも、如来さまはちゃんと救うてくださると決定せねばいかん。そこが衆生本来佛なりということだ。修行してから佛になるのではない。悟ってから佛になるというのではない。オギャーと生まれた時から、佛であり、みんなお助けをいただいているのである。そこを誤解してはいかん。」

山田無文臨済録』(1984年)151頁)



また、円覚寺派の管長をしていた朝比奈宗源も、坐禅の修行は本来いらないと述べます。



「以前、私が禅を修行しなくては、佛道の真実はわからないとだけ説いていた頃、郷里へ帰り親戚や友達の親しい人々をまじえた聴衆を相手に、説教をしましたら、年老いた従兄が、佛道のありがたいことはわかったが、私等にはそうした修行はとてもできない。本当のことはわからずに死ぬのかな、となげきました。私はこれが淋しくもあり、悲しくもありました。後に私はいま説くように、修行しなくても、本来佛心の中にいるのだから、死後も絶対安心してよいと、はっきり言い切る信念に達しました。」

(朝比奈宗源『佛心』(1959年)39~40頁)



私自身は、仏教の実践については、治療行為に類するものであると捉えることがその適切な理解をやすいと思っており、一見、見性という特別な体験を目指す臨済禅も、特別なものを欲している人に、修行を通して、特別な体験をさせることにより、その基礎にある劣等感の類を充足させた後、向下により、日常世界への再編成を目指すものではないかと考えています。

ベトナム臨済宗の僧侶であるティク・ナット・ハンの次の指摘は、この点が明瞭です。



「瞑想は社会から離れ、社会から逃げ出すことではなく、社会への復帰の準備をすることです。」

(ティク・ナット・ハン(棚橋一晃訳)『仏の教え ビーイング・ピース』
(原著1988年、中公文庫版1999年)68頁)



このように、瞑想等の仏教の実践が本来的に日常への回帰を目指すものであるとすれば、坐禅等の特別なものを求めることは、多くの人の人生にとって不要であるということになるでしょう。

実際、ほとんどの人は、禅の修行などはしませんし、誰もがやらなくてはならないということでは困ります。

この点、日本の禅宗では、禅の修行者が僧堂にやってきた際、庭詰・担過詰と呼ばれる手続が行われ、入門を容易に許さないものとされます。現在、庭詰・担過詰は、現在では、形式化されているといわれますが、坐禅等の修行が本来不要であることからすれば、示唆的なことです。

瞑想や坐禅等の仏教の実践の本質は、治療的なものであり、病んでいない人には、必要のないものというべきでしょう(注17)。



(3)曹洞宗



曹洞宗については、その開祖である道元の著作に、「見性」を否定するような内容があることから、坐禅を形式的なものと捉え、特別なものと追求すること自体を問題にするのも有力であると思われます。

曹洞宗でよく知られている沢木興道がその典型の一人と思います。



「高祖大師の『弁道法』の中に

「群を抜けて益なし……乃至未だ大悟を待たず」

とある。私も、高祖の禅に参じて、悟ろう悟ろうと思って、山の中に籠って夜もろくろく眠らずに一生懸命やってきたところへ、この言葉にぶつかったのだから驚いた。今まで群を抜けようと骨折ってきたのに、群を抜けて益なしでは、骨折り損になるわけである。

ところが実際吾々は、法界の含識(衆生)と同じく菩提を円かにするとだとか、皆共成仏道だとか言って、決して自分だけ抜けがけして極楽に行くことが仏道ではないことは唱えているのである。それでいて、人を押しのけて自分だけ悟ろうという気持ちになることがある。しかしこれは決して悟ったのでも何でもない。それを誡められるために「群を抜けて益なし、衆(しゅ)に違ふは儀にあらず」と言われたのである。『弁道法』(略)最後の「未だ大悟を待たず」というに至っては、吾々の日常の行は悟るためではない、即ち待悟の禅ではないということがはっきり分かる。」

(沢木興道『【増補版】坐禅の仕方と心得』(原典1939年)13~14頁)

私は、道元については、十分理解できていませんし、所々難しく考えすぎているのではないかと思われるところもあり、必ずしも支持しませんが、「群を抜けて益なし」という発想は、言葉尻としては、アドラーの「普通であることの勇気」につながるものを感じ好ましく思います。

酒井得元は、このような沢木興道の立場を更に敷衍して、まさに「特別なものはいらない」と言います。



「私は宗門において最も大切なことは

日常なんともなく生きているということ、このことが、何よりも有難い

ことであることを、心から感ずることだったのです。(略)全部が仏法であり

特別なものは、何に一つもなかった

のです。したがって仏法は特別な神がかり的な自己満足的修行することではなかったのです。何故ならば、一切衆生悉有仏性だからです。したがって宇宙の全てが仏性、即ち真実です。故にこれこそはという

特別であるものは、全てあってはならぬこと

です。こうしてみると、全てが仏性であり真実であってみれば、特に外道というものがあるわけではないのです。」

(酒井得元『永平広録について』21~23頁)

https://zenken.agu.ac.jp/research/11/06.pdf



同じ系譜ですが、曹洞宗の管長をしていた岡田宜法は、「禅は人間としての生活を出ない。禅の目標は人間完成にある。悟りを強要するような禅は、見性流の禅であつて、超人生活をあこがれる人々の迷妄である。」と言い(注18)、駒沢大学の初代学長であった忽滑谷快天も、「吾人が死を逃れんとする一切の努力、一切の企図、一切の工夫は全然無用である、吾人は斯く無用の企図に身心を磨礱せんより寧ろ有益なる事業に貴重なる生命を捧げたら宜しかろう」(注19)と特別な修行をするのではなく、日常の生活活動に徹するように教導します。



以上のような捉え方は、健全なものであると思いますが、ツイッターで、曹洞宗の僧侶の人のつぶやきを見ると、特別な境地に対する憧れのようなものを感じるものもあります。

実際、曹洞宗においては、室町時代に入った頃には、正法眼蔵は読まれなくなり、現代の曹洞宗は、江戸中期以降に、正法眼蔵等の道元の著作に基づいて、再構成されたものですから(注20)、沢木興道や酒井得元の読み方がどの程度、正確なものであったかはわかりません。

そもそも、「弁道法」自体、僧堂での生活のあり方を述べたものであり、その記述の射程が僧堂以外の一般的なあり方にどの程度及ぶのかの問題はあるようにも思われます。

特に、僧侶として出家するという行為自体が日常を離れる「群を抜ける」ものであり、そうすると、僧侶として出家するというあり方の是非も問題になるようにも思われます。

このようなことから、曹洞宗でも、悟りに類する何らかの特別な境地を目指すような考え方も息を吹き返していると言われています。



「悟り体験批判に対しては、曹洞宗内部からの逆批判も提起されている。すでに戦前から原田祖岳(略)、渡辺玄宗のような僧堂師家から逆批判めいた声が上げられていたのであるが、本格的な逆批判が提起されるようになったのは、戦後、悟り体験批判の急先鋒であった駒澤大学宗学者たちが引退し始めてからである。(略)近年においても、角田泰隆が次のように述べている。

道元禅師の修証観において、無所得無所悟の強調が、いかにも証悟の否定であるかのように理解されてきた面もあるが、けっしてそうではないことは明白である。(略)

駒澤大学における道元研究の第一人者、角田がこのように発言したことの意味は重い。あるいは、曹洞宗においても、いずれ、悟り体験批判は鎮静化していくかもしれない。少なくとも、道元の名を借りての悟り体験批判は、もはや、通用しなくなる可能性が高い。」

(大竹晋『「悟り体験」を読む 大乗仏教で覚醒した人々』(2019年)268~269頁)



私自身は、沢木興道等の近代曹洞禅の論者の著書を読み、その合理性・非神秘性から、曹洞宗に好感を抱いていた時期もありましたが、先にも述べたツイッター上の曹洞宗僧侶の発言から、曹洞宗の内部も、非合理主義・神秘主義が蔓延しつつあるのではないかと疑問を抱くようになりました。



6 特別になることではなく、自足へ



先に「「瞑想/仏教と家族」に関する素描」(注21)と「「瞑想/仏教と神経的多様性」に関する素描」(注22)に述べたとおり、仏教や瞑想に興味を抱く人は、愛着関係の問題や神経的多様性の観点から、社会的に不適合になりやすいことから、劣等感を抱きやすく、その補償をする必要にせまられ、特別な心理状態を希求するように思われます。

このような精神性に、問題があることは明らかで、臨済宗において、いったんは、特別な体験をして、劣等感を補償した後、向下の修行を通し、日常性に引き下ろしたり、また、臨済宗だけではなく、曹洞宗においても、「名利」の追求を強く否定する理由は、優越感の充足を求める精神性に対する問題意識からくるものとすれば、合理的であるように思います。

鈴木大拙に次の言葉があります。



「学校をやめたころから、なんとなく人生に疑いを抱き、草木は無心に成育し花を開いて自足しているのに、人の生活はなぜそのようにならないのであろうか?こんな考えが起ってきたのが、宗教に入る第一歩であった」

(秋月龍珉『世界の禅者―鈴木大拙の生涯―』(1992年)54頁)



問題は、劣等感から、自分自身のあり方に、自足できないところにあるのではないでしょうか。

中国から現代日本に至るまで、禅は、坐禅等の特別な修行によって、特別になることを目指すという一般的なイメージ(どうも現代の禅僧もそのような観念の人が多いように感じます)がありますが、その主流は、特別になることではなく、日常へ自足することを目指していたもののように思われます。



本文以上



(注1)竹村牧男「仏教は本当に意味があるのか」(1997年)16頁

(注2)「悟り」は主に大乗仏教的な「自他不二の体験」又は上座仏教的な「貪瞋痴の滅尽」と理解されますが、その精神状態の捉え方については、次の当ブログの記事を参照
扁桃体の活動の低下――坐禅の生理学的効果(1)」の3(2)
https://ztkbtkmtk.hatenadiary.com/entry/2021/11/23/144342
「禅の修行は禅的人格を生み出せるか~瞑想と情動発現の低下」2及び3
https://ztkbtkmtk.hatenadiary.com/entry/2022/02/14/211628

(注3)瞑想の副作用については、次の当ブログの記事を参照
「【参考資料】瞑想の副作用」
https://ztkbtkmtk.hatenadiary.com/entry/2021/11/14/210348

(注4)岸見一郎『アドラー心理学入門』(1999年)63頁

アドラー心理学では「普通であることの勇気」という表現をしますが、普通でいる勇気がないので最初は特別よくなろうとし、次いでもしもこれが果たせない場合は、特別に悪くなろうとするのです。そうすることによって安直に「成功と優越性」を手に入れることができる、と考えます。」

(注5)山本高穂「脳の進化から探るうつ病の起源」『第11回 日本うつ病学会市民公開講座・脳プロ公開シンポジウム in HIROSHIMA 報告書』(2014年)7頁
http://www.nips.ac.jp/srpbs/media/publication/140719_report.pdf

「いつ頃から人類はうつ病に苦しむようになったのでしょうか。番組の取材によって農耕・牧畜の始まりが大きな転換点だと分かってきました。

狩猟採集生活から農耕を開始したことで、人々は長期的に計画して多くの収穫を得られるようになり、食料以外のものも「富」として蓄積していくようになりました。それと同時に、持つ者と持たざる者の格差が発生してきたことが考えられます。世界最古のメソポタミア文明の遺跡から発掘された紀元前2500年前の考古学的資料からは、ハッザの人々に見られるような平等な社会は崩壊し、権力者と労働者が明確に分かれる階級社会が既に成立していたことが読みとれます。また、古代ギリシャ時代の医師や科学者たちが残した文献には、現代の「メランコリー(憂うつ)」の語源となる言葉が認められ、文明が興った時代以降、人々は階級社会により強いストレスを受け、うつ病うつ状態に陥る人々が存在するようになったのではないかと推察されています。

さらに、文明による階級社会成立後も、うつ病を拡大させる要因となる人類史上の出来事は続きました。18世紀には産業革命が起こり、人々の労働時間は急激に増加しました。そして、20世紀以降では、都市が急速に発達し、人と人との結びつきが希薄化しています。産業革命による過労や、都市化による孤独なども要因となり、うつ病に悩まされる人々を益々増大させていると考えられます。」

(注6)リチャード・ゴンブリッチ浅野孝雄訳)『ブッダが考えたこと』(2018年)59~60頁

「インドにおける都市化の第二期の初期において、仏教が興隆したことに同意している。(略)この都市化は、農産物の余剰生産に伴って生じたのに違いなく、社会と経済の根本的変化へと繋がった。比較的大きな都市(略)は、宮廷と貴族、および官僚階級を伴った都市国家へと発展した。余剰の農産物はさらなる規模の通称を促し、そのことがより遠方の諸社会との接触と、文化的地平の拡大をもたらした。交易商人たちは帳簿をつけ、王たちは法を施行した。

(略)仏教が、とりわけ交易商人のような新興の社会階級を惹きつけたことは、初期の文献と、少し下った時代に由来する考古学的史料の双方から、明らかである。」

(注7)仏教がカースト制を否定したなどということは、よく言われますが、実際には、これが教壇組織に食い込んでいます。

ブッダが現実世界の人生を、より一層生きるに値するものとなしえたかどうかは、大いに議論の余地があるところだが、これは彼の教えの意図せぬ結果であったことは確かである。彼のことをある種の社会主義者だとするのは、時代錯誤も甚だしい。彼は決して社会的不平等に反対したのではなく、ただそのことが救いとは無関係だと宣べたまでである。彼は決してカースト制度を廃止しようとしたわけでも、奴隷制度をなくそうとしたわけでもなかった。例えば、有名な説法である『沙門果経』(略)が、奴隷がその隷属を逃れて教団に入ることの実際的な利益を強調する。その一方で、現実には逃亡奴隷の入団は許されていなかった。その上、古代インドでは教団そのものの内部には、カーストも他の形態の社会階層もなかったのだが、やがて教団それ自体(在俗の)奴隷を所有するようになった。

(リチャード・ゴンブリッチ(森祖道・山川一成訳)『インド・スリランカ上座仏教史』(2005年)52~53頁)

スリランカは大変カースト制の厳しい教団組織であります。一番高いカーストじゃないとスリランカの、そのタイから持ってきたサンガと言いますか、サイアム・ニカーヤ(シャム・ニカーヤ)と呼んでいるのですが、ここは最上位のカーストじゃないとサーマネラ(得度)できません。(略)

スリランカは多くの人が最も原始仏教の姿を今日まできちんと受け継いでいると評価する、そういう仏教であります。しかし、実は建てまえの話(略)

とにかくここで少し注目しましたのは、そのカースト制度、大変厳しい。それで多分、今日は見えてないのですが、短大の能仁先生は仏教がスリランカに伝わる前の頃からヴァルナ制を仏教では認めていてというふうな可能性も示唆されています。同じ仏教徒言っても、バラモンとクシャトリアの仏教と、それからヴァイシャとシュードラの仏教はちょっと説く内容が違っていてもいいのだというような話があるということです。」

(中村尚司「報告Ⅰ 中村尚司「東南アジア上座仏教の現状と課題」龍谷大学アジア仏教文化研究センター『2010年度 第1回 国内シンポジウムプロシーディングス「アジア仏教の現在」』6~8ページ)

(注8)森三樹三郎『老子荘子』(1977年)340頁

(注9)瓜生崇『なぜ人はカルトに惹かれるのか――脱会支援の場から』(2020年)10頁

(注10)「仕事と家庭は人生の両輪です。」(西内啓『サラリーマンの悩みのほとんどにはすでに学問的な「答え」が出ている』(2012年)222頁)

(注11)魚川祐司『仏教思想のゼロポイント 「悟り」とは何か』(2015年)35頁

「ゴータマ・ブッダの教えは、現代日本人である私たちにとっても、「人間として正しく生きる道」であるかどうか、ということである。

結論から言えば、そのように彼の教えを解釈することは難しい。(略)ゴータマ・ブッダの教説は、その目的を達成しようとする者に「労働と生殖の放棄」を要求するものであるが、しかるに生殖は生き物が普遍的に求めるものであるし、労働は人間が社会を形成し、その生存を成り立たせ、関係の中で自己を実現するために不可欠なものであるからだ」

(注12)サンガの当事者グループ制という観点からは、佐々木閑宮崎哲弥『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』(2017年)91頁の次の指摘が鋭い。

「出家とは、俗世間で死ぬか生きるかの状態になってしまった人たちが、同じような価値観を持った者同士で身を寄せ合って作った修行の世界へ入ること。出家の本当の意味は、言ってみれば「自殺する人を救う」ところにあるわけです。」

(注13)出家者集団の問題性については、差し当たり、次の各文献を参照

「瞑想センターに入るまえ、瞑想の内に平和を見いだすことを、彼らは望んでいました。ところが、道を求めつつ、以前とは違った社会をつくり、この社会が、大社会よりも、もっとむずかしいものであることに気づきます。それが
社会から疎外されたひとたちの集まり
だからです。数年の後、瞑想センターにやってくるまえよりも、もっとひどい欲求不満を起します。」

(ティク・ナット・ハン(棚橋一晃訳)『仏の教え ビーイング・ピース』
72頁)

「私は、青年時代から在家の居士として修行を始め、終戦の年、四十二歳の時に出家した。その頃でさえ寺の子弟というのは何となく陰惨だった。在家の私は、ひそかに雲水たちを羨望していた。ああいう生活はいいな、明けても暮れても坐禅三昧でおられる。ああいう生活が羨ましいなと思っていた。ところが、さて自分がその中に入ってみると、何とこの世界は陰惨な世界か。御殿女中の腐ったみたい。陰険で、どうもカラリとした男性的なところがない。何とも嫌なところだなと思ったことがある。」

(大森曹玄『驢鞍橋講話』(1986年)319~320頁)






(注14)小川隆『書物誕生――あたらしい古典入門『臨済録』――禅の語録のことばと思想』(2008年11月18日)156頁

同書の次の記述もわかりやすい。

「激烈な聖性否定の精神がこうした平凡な日常性の肯定と表裏一体となっている点、そこに唐代禅の重要な特徴があるのであった。」(164頁)

(注15)「何というても宗門では、この臨済録が背骨である。この臨済録をよく拝読して、会得しておかんというと、臨済下の衲僧ということは言えんはずである。」(山田無文臨済録』(1984年)i頁)

(注16)伊藤古鑑「馬祖大師の禅」『禅学研究』第26号(1936年)12月25日)9~10頁

https://hu.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=25&block_id=79&item_id=607&item_no=1

「馬祖大師は六租已後に於ける禅海の第一人者であつて、禅宗と云ふ宗旨を高くを天下に宣揚し、眞個の衲子(のうす)を打出すると云ふことに力めた人で、少なくも今日の禅宗からは、馬租大師を以て一大恩人として尊崇しなければならぬと思ふ。素より達磨大師の功績も、六祖大師の偉大も認めないと云ふのではない。たゞ今日の禅宗より逆に、深く其の出発点を考へて見た時には、或は更に偉大なる思想なり功績なりを此の禅海に残されたのは此の馬租大師ではなからうか。或る意味に於ては、馬租大師の禅が今日の禅宗、特に臨済の宗風を判然と画き出さしめた観があるので、この馬租大師を忘れて、今日の禅を語り、今日の臨濟宗と云ふ宗旨を論することは出来ないものと信ずる。」

(注17)以前のブログの記事にも引用しましたが、仏教の治療モデルと私がいうものは、次のようなものです。

1 佐々木閑『NHK100分de名著・ブッダ真理のことば』(2012年)29頁

「仏教を心の病院だと考えると、その存在意義もよく見えてきます。仏教は病院ですから、病気で苦しんでいる人を治すのが仕事です。病気でない人には全く必要ありません。ですから、病院がわざわざ外へ出かけていって健康な人を引っ張り込んで入院させるようなことをしないのと同じく、仏教も、苦しみを感じていない人まで無理矢理信者に引っ張り込もうとはしません。」

2 柳田聖山『禅思想』(1975年)37~38頁

「道心を起すことが、巧偽をひき起す。道心を起すことが、じつはすでに道に背くわざなのだ。(略)もともと坐禅は起こった心を静めるための対症療法であった。(略)応病与薬の法であった。乱れた心を制する技術である。応病与薬の法であった。『二入四行論』の雑録に、つぎのような問答がある。

ある人が顕禅師にたずねた、「何を薬というのです」
答、「一切の大乗は、病気に対する応急処置にすぎぬ。心そのものが病気を起さなければ、どうして病気に対する薬がいろう。有という病気に対して空無という薬を説き、有我という病気に対して無我という薬を説き……、迷いに対して悟りを説く。これらはすべて、病気に対する応急処置である。病まぬのに、どうして薬がいろう」

顕禅師もまた伝記の判らぬ人だが、その主張は縁法師と変わらぬ。(略)病まぬのに、薬はいらない。病まぬ人に薬を与えるのは、わざわざ病人をつくるようなものだ。心が起らぬのに、強いて心を起すにひとしい。われわれは、とかく病を実体化しやすい。病を実体化することから、薬の実体化が始まる。(略)病の実体化することの危うさは知りやすい。薬を実体化することの怖さは気づきにくい。」

(注18)大竹晋『「悟り体験」を読む 大乗仏教で覚醒した人々』(2019年)258頁

(注19)滑谷快天『禅の妙味』(1927年)13頁

https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1110187

(注20)松波直弘「江戸期曹洞宗における三教一致思想――『曹洞護国辨』に関して――」『学習院大学文学部研究年報』59号(2012年)1~2頁
https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2720&item_no=1&page_id=13&block_id=21

「江戸期曹洞宗の思想状況は、「百花繚乱」とも称される。(略)

ただ、「百花繚乱」は美麗な形容であって、別の角度から見れば、宗門内には「諸言乱立」という感も否めない。幕府主導の宗教統制によって、「曹洞宗」という大きな外枠は出来たものの、その中身は穏やかな水面とはいかなかった。(略)

一つの落とし所となったのが、宗祖道元の言葉である。実は、道元の主著とされる『正法眼蔵』は、宗門の宝として秘蔵こそされども、それを元に学問をするという流れは形成されていなかった。そこで、江戸期において、「曹洞宗」という宗門の規矩を定めるために「復古」されたのが、『正法眼蔵』であった。

しかし、宗祖の言葉が復古されたからといって、それで何事もなく論争が終息するわけでもない。室町期以降、永きに亘って学問対象となってこなかったということは、宗門としての『正法眼蔵』の読み方が規定されていなかったことと同義である。したがって、〈復古された『正法眼蔵』〉は、そこに様々な読みや解釈を生じさせることともなった。こうして、江戸期の曹洞宗は、宗祖・道元の『正法眼蔵』という一際大輪の華を加え、多様な宗論・思想が咲き乱れる様相となっていったのである。」

(注21)特に「5 親子関係の問題と劣等感=優越感の補償への渇望」を参照
https://ztkbtkmtk.hatenadiary.com/entry/2022/05/08/211131

(注22)特に「8 高機能発達障害における劣等感と超越性の希求」を参照
https://ztkbtkmtk.hatenadiary.com/entry/2022/05/15/211246

(注23)鈴木大拙『禅百題』(1943年)48頁の次の記述も自足という点では味わい深い

https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040811

「人間がちょっと足を止めたのが禍の本なのである。猫や犬のように、松や竹のように

所謂その性のままに動いて居れば、何の面倒もなかったのだ。

それが何かの調子で一寸車を駐めて紅葉を見たから、今までのように行けなくなった。自分と自分に対するものとが分かれた。問が出る、名が出来る。一旦こうなれば止まるということを知らぬ。自分で作ったものにだまされる。向こうに働きかけて、その働きが又向こうから返ってくる。一波動いて千波萬浪が次から次からと動く。面白いと云ってもよし、面倒だと見てもよい。そのはじめは、汝が問を出したからである。」





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