禅とか仏教とか瞑想とか

禅とか仏教とか瞑想とかに関する批評とか

【参考資料】瞑想の副作用

(1)齊尾武郎「マインドフルネスの臨床評価:文献的考察」『臨床評価』46巻1号
http://cont.o.oo7.jp/46_1/p51-69.pdf

「近年のうつ病の多発から,職場のメンタルヘルスに対する関心が高まり,我が国における精神医療へのアクセスは,以前と比べると各段に改善した.しかし,エビデンスベーストな心理療法認知行動療法など)を行うべきケースにそれが行われていないなど,必ずしも適切な治療を受けておらず,患者たちの中には,自助努力として,瞑想・マインドフルネスに取り組んでいる人も少なくない.そうしたケースの中には,その結果,かえって病状が重くなったと訴える人もいる」(52頁)

※60頁に掲載された「瞑想の主な副作用・有害事象」に関する表の内容

○精神病性症状(幻覚妄想状態)
―――幻聴,幻視,追跡妄想,自殺企図
○気分症状
――躁状態(誇大妄想,観念奔逸,多弁,過活動,性的脱抑制),抑うつ状態(意欲減退,ネガティヴ思考,自殺企図)
○不安症状
――不安,パニック,緊張,イライラ,不穏
○身体症状
――頭痛,筋痛,上腹部痛,嘔気,食思不振
○解離症状
――離人感,現実感喪失,見当識喪失,意識喪失,トランス状態(人格の同
一性の感覚の消失)
○その他――
不眠,瞑想依存,脳波異常(側頭葉にspike),他者に対する陰性感情,社会からの疎外感

「Deese-Roediger-McDermott paradigmを用いた認知心理学的実験により,マインドフルネスにより偽記憶形成が高まる可能性が示唆されてもいる(しかし,再現実験でこれを否定する結果も出ている)」(60頁)

「1992年のカリフォルニア大学精神科・人間行動学のDeane H. Shapiro教授の論文で,27名の瞑想者のうち,62.9%になんらかのネガティヴ反応があり,7.4%には重篤な副作用が生じた(先行研究では,瞑想歴の長い人のほうが初心者よりも副作用が多いという結論であった)という論文が紹介されている.続いて,認知行動療法創始者の一人,Arnold Lazarusが1976年の論文で,瞑想で副作用が生じたケースが複数例あると述べ,瞑想は万人向けのものではないとしていることや,同じく認知行動療法創始者の一人,Albert Ellisも瞑想後に解離性亜トランス状態になった人が数名いると述べていることに触れられている」(61頁)

アメリカでは,集中力を高め,創造性を引き出すことなどを目的として(すなわち,ビジネスの能力を高めるために),有名会社でマインドフルネス・プログラムが採用され,マインドフルネスはブームとなっている.しかし,逆説的なことに,マインドフルネスにより批判的思考を避けるようになったり(回避リスク),マインドフルネスを会社のリーダーから強要されたりする(集団思考リスク)など,ビジネスの能力を低下させる可能性も指摘されている」(61頁)

重篤な精神医学的な副作用・有害事象(幻覚妄想状態,躁状態抑うつ状態,解離状態など)が報告されていることに鑑み,瞑想・マインドフルネスの副作用を軽視すべきではないと考える.現状では,MBIは必ずしも精神医学・精神保健的な専門的な知識・経験を十分に持つ指導者が行っておらず,MBIの各種の適応症の根拠はいまだ不十分であり,副作用の生じる可能性があることを含め,MBIを受けようとする人々に,その有効性・安全性について十分な情報を提供しないままにMBIを指導することは非倫理的であると考える」(63頁)



(2)池埜聡、内 田 範 子「「第2世代マインドフルネス」の出現と今後の展望-社会正義の価値に資する「関係性」への視座を踏まえて-」『Human Welfare』12巻1号
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=29697&item_no=1&page_id=30&block_id=85

「マインドフルネスが問題を個人に帰結させ、組織構造的、さらには社会的な影響を不可視化することに加担しているという見解である。「企業マインドフルネス」を例にとると、マインドフルネスをストレス対処のための処方箋として位置づけることで、問題解決を個人に委ねてしまい、企業の構造的な問題を隠してしまうリスクが潜在し て い る と 見 な す(Gelles, 2015 ;Purser & Loy, 2013)。マインドフルネスによって個人の生産性と満足度が高まり、企業の利益にもつながるという一見すると企業と就労者のウィン・ウィンの関係の背後には、問題を個人化させ、結果的にストレスを生み出す構造を助長することになりかねない、という主旨の批判である」(91頁)

「マインドフルネスの効果が多次元のレベルから実証され、「脳の構造が変わる」とまでもてはやされ「る中、マインドフルネスがストレスや悩みの解消をもたらす万能薬であるような誤解を生む傾向が生まれている。しかし、マインドフルネス瞑想だけではトラウマや実存的な苦悩からの解放は得られないという点が理解されないまま、瞑想に万能性を求める人が少なくない現状が危惧されている(Kornfield, 1993 ; Treleaven, 2018)。

「スピリチュアル・バイバッシング」とは、「スピリチュアルな考えやプラクティスを用いて未解決の情緒的問題、心的外傷、そして未処理の発達上の課題などに直面することを避ける傾向」と定義される」(91頁)

「臨床マインドフルネスのプラクティスでは、想起される思考や感情にとらわれず、手放していくという認知的プロセスを訓練する。しかし、人によっては過去に生じたトラウマ記憶を手放すことに没頭してしまい、トラウマ記憶の否認や回避を強化してしまうことになりかねない。瞑想法に聖なるものや神秘性を付与することで、さらに問題の回避が促され、結果的に異なる指導者や実践の機会を探し求めてさまよう「瞑想難民」と称される人々が生まれてしまう現状も報告されている(ナラテボー・魚川,2016)。

「『今、この瞬間、マインドフルに』という瞑想指導は、その人の苦悩や痛みを軽んじることになりかねない」。これはトラウマに配慮したマインドフルネス瞑想のあり方を発信する David Treleaven の 言 葉 で あ る(Treleaven, 2017 : 26)。彼は、マインドフルネス指導者の多くがエリート主義にもとづく見せかけの親切心によってトラウマの問題を過小評価していると批判する。Treleavenはまた、マインドフルネス指導者の中にはトラウマに対する専門的知識をもたず、瞑想法のガイドライン固執することで、スピリチュアル・バイパッシングを強化している現実に気づいていない人も多数存在していると指摘する」(91~92頁)



(3)飯塚まり「多様性とリーダーシップ:マインドフルネス・コンパッションからのアプローチ」『組織科学』50巻1号
https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshikikagaku/50/1/50_36/_pdf/-char/ja

「欧米由来のマインドフルネスについて、日本では導入期ということもあり、その効用が強調されているが、マインドフルネスや瞑想には注意点もある。特にマインドフルネスが流行し、産業として成り立ち、商業主義が席巻している中では、心配な点も出て来る。

まず、瞑想についてであるが、マインドフルネスは安全とされてはいるが、それでも、トラウマ記憶に対してのコーピング能力など、個人によっての安全性の問題や、禁忌がある(略)

また、そもそも、瞑想は、昔から経験を積んだ師について行う活動であり、軽く1日5分の瞑想をしている分には問題ないかもしれないが、深い瞑想を長時間するような場合には、自分に適した師を探すということが重要になってくる。(略)

瞑想から気分が悪くなったりする可能性もある(略)。また、瞑想によって、大きく人生を変えたくなり、現実社会での困難に直面するということも考えられる。(略)

また、世俗化したマインドフルネスは。現代資本主義の価値観の中で、集中力やパフォーマンスの向上といった個人の利益(エゴ)に訴えてひろまっており、それに対しての懸念も表明されている。極端な例であるが、マインドフルネスは、兵士にも応用されているが、マインドフルネスの不安を解消させて殺戮をすることが望ましいのかという疑問がある。」(42~43頁)



(4)宮脇秀貴「エンパワーメントと洗脳」」『香川大学経済論叢』82巻3号
http://shark.lib.kagawa-u.ac.jp/kuir/metadata/3528

「通常の意識では,注意は,五感を通して外側へ向けられるのに対して,トランスにおいては,注意は内側へ向けられ,人は内面で聞き,見,感じるようになる。Hassanによれば,自分たちは宗教だと主張する多くのカルトでよく行われている瞑想と呼ばれるものは,カルトのメンバーがトランス状態に入るプロセス以外の何ものでもなく,そのトランス状態の中で,メンバーは,カルトの教義にますます従いやすくなるような暗示を受けるようになるのである(p.57, 訳 p.110)。また,トランス状態は心地よいリラックスの体験であるため,人々は,できるだけ,度々またトランスに入りたいと思うようになるだけでなく,一番重要なこととして,トランス状態では,人々の批判的能力は減退してしまうのである」(83頁)



(5)大谷彰『マインドフルネス入門講義』

「マインドフルネス実践中にトラウマの自然除反応が発生することからも明らかなように、臨床マインドフルネスでも治療の差し障りとなる反応が生じることは早くから知られています(略)。マインドフルネスに伴う弊害をテーマにした論文(略)には、自然除反応や意識変容をはじめ、リラクゼーションに伴う不安とパニック、緊張感、生活モチベーション低下、退屈、疼痛、困惑、狼狽、漠然感、意気消沈、消極感亢進、批判感情、『マインドフルネス』依存、身体違和感、軽い解離感、高慢、脆弱性、罪悪感といった広範囲にわたる項目が記載されています。このリストから臨床マインドフルネスが禁忌となりやすい条件が推察できます。

仏教に造詣の深い精神科医精神科医マーク・エプスタインは、臨床マインドフルネスの悪影響について、マインドフルネスの進展レベル(初心者/熟練者)、およびクライアントのコーピング能力(高/低)という2つの視座から論じています(略)。彼によるとマインドフルネスでは初心者から熟練者までの各レベルにおいて幅広い『副作用(side effects)』(たとえば、知覚の変化、不安、焦燥、トラウマ記憶再生(自然除反応など)が生じる。これらのなかには「病的」なものもあれば、一過性の困難やトラブルにすぎないものもある)(略)。こうした現象が適切に処理できればまったく問題とはならないが、対応が一時的に困難となった場合や、コーピング能力の低いクライアントには深刻な問題になりかねない、と警告します。この区分によると、トラウマ記憶によるマインドフルネス実践中の自然除反応は『一過性困難』の典型であり、境界性パーソナリティ障害のクライアントは『コーピング能力の低いクライアント』のケースと言えるでしょう。要するに、臨床マインドフルネス実践では、クライアントのあらゆる反応に留意することが必要であり、なかでもコーピング能力が十分に確立されていないクライアントには特別の配慮が必須とされるのです。」(195~196頁)

*コーピング=ストレスマネジメント手法の一つ。自分のストレスの感じ方を認知・内省して対処する方法。

境界性パーソナリティ障害=情緒不安定パーソナリティ障害とも呼ばれる。不安定な自己 - 他者のイメージ、感情・思考の制御不全、衝動的な自己破壊行為などを特徴とする障害。自傷行動、自殺、薬物乱用リスクの高いグループ。

「コーピング能力の未発達からマインドフルネスが困難となるケースには、境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害(略)などのパーソナリティ障害、PTSD(略)、薬物依存、衝動制御困難といった障害を抱えるクライアントが該当します。これらの障害はDBT、ACT、メタ認知療法などの臨床マインドフルネスが治療対象とする領域です。DBTの専門家たちは、こうした障害に対するマインドフルネス応用を次のように説明しています。

長時間におよぶマインドルフルネスの実践は、深刻な心理障害をもつクライアントには適用すべきではない。ある程度の基本スキルなしに実践することは失敗をまねく原因となるので、段階的に訓練を積んでゆくのが望ましい。」(197頁)

「自殺願望の強いクライアント、トラウマ体験から時間の浅いクライアント、自我強度(ego-strength)の低いクライアント、深刻な認知障害発達障害、精神病(略)などの心理障害をもつクライアントにも、臨床マインドフルネスを禁忌とみなす識者もいます。(略)困ったことに、既存のマインドフルネス効果の過大評価が指摘され(略)、臨床マインドフルネスの適用と禁忌の判定がいっそう困難になりました(略)。」(197~198頁)

「臨床マインドフルネスの禁忌はまた、マインドフルネスの実践がクライアントにとって過分な負担となる場合にも当てはまります。」(199頁)



(6)大谷彰「マインドフルネスの進化と真価」飯塚まり編著『進化するマインドフルネス ウェルビーイングへと続く道』

「イギリスのオックスフォード・マインドフルネス・センターの2016年10月号の機関紙にはルース・ベアとウィレム・カイケンによる「マインドフルネスは安全か?」という記事が掲載された。このなかで、リトリート(合宿)形式のマインドフルネス訓練が特に問題となりやすい、と彼らは指摘している。

この記事に次いで、マインドフルネスのもたらすマイナス体験の実態調査が、(略)発表された。この研究では参種類の瞑想(テーラーワーダ、禅、チベット)実践者、総計60名から6年間にわたりデータが収集された。統計結果を見ると、72%が『リトリート中もしくは終了後に問題が生じた』と答え、オックスフォード・マインドフルネス・センターの見解を裏づけている。個人の実践では28%が『不快体験あり』と回答した。不快反応のタイプについては『恐怖、不安、パラノイア』(82%)が抜きんでている。しかし特筆に値するのは、マインドフルネスによるトラウマ記憶の再体験である。これは実践者の習熟度にかかわらず、約半数近くの実践者(初心者43%、熟練者47%)に生じた。研究対象の被験者数が60名と比較的限られているにせよ、(略)マインドフルネスにより『瞑想難民』のみならず、『瞑想病人』の出現すら危惧されるからである。 」(34頁)



(7)佐藤豪「心理カウンセリングのなかで」飯塚まり編著『進化するマインドフルネス ウェルビーイングへと続く道』

「マインドフルネスがさらに多様な人々に広がってゆくことは望ましいが、その注意点や問題点についてもさらに明確にしてゆくことが望まれる。特に自我境界の弱い人にどのように適用するか、自我の混乱を起こさないためにどのような配慮をするかなどを検討してゆくことが重要である。」(46頁)

「動機づけが強くなりすぎて『これさえ毎日おこなっていれば自分は癒やされる』と思ってしまうと、どうしても力んでしまって、自律訓練法で言うところの受動的注意集中や適度なリラックスができにくくなってしまう。 (略)マインドフルネスの瞑想は『意識を集中する』ということにスタートラインがあるため、どうしても、「身体を使う」という現実と接点をもつことが適切に出来にくいという難点があるように思われる。(瞑想等については)無意識のなかにあったさまざまな瞑想や衝動性といったものが意識のなかにあったさまざまな願望や衝動性といったものが意識のなかに侵入してくることによって、心のバランスを崩し、現実から乖離した状態を起こすと言えるだろう。瞑想などの方法では、そのような危険性をチェックすることが必要であると思われる。」(49~51頁) 

「強い怒りなどを持っている人が、その感情と距離を置いて、瞑想のなかでその感情を適度に発散し、コントロールしていく、というのはなかなか難しいことではないだろうか。しばしば自律訓練法の場面においても、強い怒りのために訓練に導入することができない場合や、訓練が終わった後に怒りを表出してしまう人などもいる。セラピストはこのようなことに十分に配慮して自律訓練法の指導をおこなうが、それでもコントロールできないことがしばしばある。このようなことからすると、人が自分自身で瞑想に入ったときに怒りなどの感情をうまくコントロールして昇華することは、なかなか困難であると思われる。」(51~52頁)



(8)プラユキ・ナラテボー 魚川祐司『悟らなくたっていいじゃないか』

「魚川 あくまで極端な例だとは思いますけどね。とはいえ、やはりリトリートの参加者たちの中で、そこでの経験を瞑想センターの外での日常生活に、どのように繋げていけばいいのかという点に関する困難を、多かれ少なかれ感じた人は多かったようです。実際の所、日本で瞑想をしている実践者にも、同種の困難を感じている方々は多いと思います。」(70~71頁)

「プラユキ (略)『幸福になるために瞑想をはじめたはずなのに、かえって苦しみが増えてしまった気がするのだけど、どうしたらいいでしょうか』と言う人が、私の瞑想会や面談会にいらっしゃることはよくあります。そういう方々を見ていると、やはり『過度の集中』が、身心のバランスを崩す主要因になっているように思われる。

過集中の問題については(略)、一つにはやはり『スピード』が遅れること、つまり、集中というのは流動し変化する現象を敢えてデフォルメし、それを固定的な対象とすることで成り立つものですから、そこにハマってしまうと、イキイキとした現実に対応する機動性や柔軟性が失われてしまう。

そして、この集中によるデフォルメされた認知から派生するもう一つの大きな問題は、それが心理学で言うところの「解離」の症状や、「回避」の行動をもたらすことです。私が蚊に刺されたかゆみが全く平気になるようなトランス状態に入ったのに、にもかかわらず村の騒音にどんどん過敏になっていったように、現実に生じている事態からどんどん遊離していって、その平安な状態を乱すものに対して、嫌悪の情を抱くようになるんですね。

実際、私がお話しした「瞑想難民」の方にも、集中の境地にとっては邪魔になる思考や想念を悪者に見立てて、そこから離れようとしてしまい、結果として感情が乏しくなってしまったり、さらには人間関係も上手く結べなくなってしまったりする方が何人もいらっしゃいました。ほとんど病的な解離症状に陥っているわけですけれども、瞑想の場合に厄介なのは、指導者によっては、そういう状態を『瞑想が進んでいる証』として、肯定してしまったりするわけです。それでますます、困難な自分の現状から逃げるために回避行動としての瞑想に没頭し、さらに状況を悪化させていくというスパイラルに落ちていく。」(137~138頁)



(9)プラユキ・ナラテボー「ピュア・マインドフルネスと瞑想」飯塚まり編著『進化するマインドフルネス ウェルビーイングへと続く道』

「日本やタイでは、苦しみから抜け出そうと瞑想していくうちに、さらに多くの苦しみを抱えてしまう『瞑想難民』が増えている。」(66頁)

「苦しみから抜け出そうと瞑想をしているうちに体調を崩したり、抑うつ感、絶望感や自己嫌悪感を感じるようになったり、人間関係がぎくしゃくするようになったり、なかには、統合失調症離人症、感情障害や摂食障害のような不調をきたす人もいる。

その要因として瞑想をストイックにやりすぎて、心身機能のバランスを崩すケースが多い。心身の土台がしっかり整っていない状況で、心というデリケートな対象にアプローチした結果、それまで自然に機能していた生命状態が撹乱し、心身の調和が乱れ、通常の認知状態に戻る柔軟性も失われてしまい、種々の症状となって現れてくるのである。

たとえばこんな感じである。精神状態がちょっとすぐれないので、『瞑想で解決しよう』と思いたつ。けれども、集中が思うように続かず、『俺はダメな人間だ』と考えて、無能力感や絶望感に陥ってしまう。心を楽にしようと思って始めた瞑想が、いつの間にか『苦悩の増幅法』にすり替わる。しかも本人はそれに気付かずに、『いつかは成果が……』と自己を叱咤しながらやり続ける。そのうちに種々の精神障害を発症。心がさまざまな不調のシグナルを発していたにもかかわらず、無理してやり続けることで症状を悪化させてしまうのである。」(70~71頁)

「細かい身体感覚への集中を取り澄ます瞑想に取り組むようになってから、そうした症状(服を身につけるなどしたときに身体に痛みが生じるようになること等)に見舞われるようになったという。」(71頁)

「また、以前気にならなかった周囲の音がすごく気になるようになって、日常生活のなかでイライラや恐怖感を感じることが多くなるといったケースもよく聞く。

その他に、ラベリング系の瞑想で、心に対してラベリングしていくうちに、いつの間にか自分が発した言葉の威力に圧倒されてしまう、あるいは虜になるといった人も少なくない。」(71~72頁)



(10)横田南嶺・熊野宏昭「禅僧と医師、瞑想スクランブル」『サンガジャパンvol.32』

「(横田)サマタ瞑想、集中瞑想をしておりますと、先ほど来、説明がありましたように、外の世界を断ち切る修行ですから、逆にこれを妨げるもの、外で物音がしたり、邪魔をするようなものに対して非常に不愉快な感情が起きます。排他的な感情が起きます。下手をすると攻撃的になったりするのであります。

よく笑い話で言うのですが、居士林という坐禅道場がありまして、集中瞑想ばっかりやっているんです。すると、どういうことがあるかと言うと、たとえば、外で観光客がうるさかったりすると、外に『坐禅中につき静かにしろ』と貼り紙を出して注意する。しかしそれでも静かにならないと、外へ出て「おまえたち、今、俺たちは坐禅してるんだ、静かにしろ」と叫ぶ。『おまえが一番うるさいんだ!』と言いたくなるんですけれども、そういう愚かなことをやっているんです。皆さん笑いますけどね、本当にそういうことをやっている。」(80頁)

「(横田)外の情報を断ち切って一点に集中するということは、大きな力を得るという利点はあります。様々な欲望を克服していったり、自分の弱さを乗り越えていく大きな力になるのは感じます。でも、先ほど居士林の笑い話をしたように下手をすると排他的になり、攻撃的になってしまう、諸刃の剣のような一面も持っているのではないかという懸念を抱いております。」(84頁)

「(熊野)先ほどサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想が、それぞれ医療とか心理臨床の世界に取り込まれてきた過程をお話ししましたが、リラクセーション法は実は、統合失調症の人はやらないほうがいいということがわかったんですね。やはり、統合失調症の方だと、中にあるものが溢れ出してくるということがあるのだと思います。だから、集中していくということの結果、起ってくるそういう反応みたいなものに、やっぱり充分気をつけていなくてはいけなくて、そこのところが充分にケアできないような状況でやると、過集中のような状態になって、さらにその反応がワッと出てきて悪化するというようなことがあったり、あるいいは怒りなんかがまたコントロールできないような状態になったりというようなことも起こるのだろうと思います。」(85頁)



(11)井上ウィマラ「マインドフルネス用語の基礎知識」『大法輪』(2020年3月号)

「魔境とは、瞑想体験の中で出会う神秘的体験によって道を見失ってしまう落とし穴を警告するための言葉です。光が見えたり、体が軽くなったり、エクスタシーやエネルギーの流れを感じたりするような神秘体験自体は集中力のもたらす効果なのですが、自覚できない微細な欲望が残っている場合には潜在している劣等感を補償するための無意識的な取引に使われてしまい道を誤ることになりやすいものです。そして権威的な人間関係の中での搾取や虐待をもたらす温床となる危険性をはらんでいます。」(88頁)



(12)貝谷久宣「マインドフルネスの注意点」『大法輪』2020年3月号

「(マインドフルネス訓練にあたり)自分を信じすぎるのは困りものです。瞑想中に光が見えたとか、神様が現われたといったような特殊な体験から自分は偉い人になったように誤解してしまうのは一番危険なことです。特殊な体験は魔境と言っています。このような状態は重要視しないほうが良いでしょう。とりわけ人格変容状態には気をつける必要があります。精神医学で診る人格変容状態は殆どが病的なものです。それにおぼれたり、こだわったりすることは強く避けるべきです。」(81頁)

「マインドフルネス訓練を行ってはいけない人は、真正の統合失調症急性期の患者さんです。自我が分裂する病気の人に自分を見つめさせると、病状が悪化する危険があるからです。ただし、慢性期の統合失調症の患者さんには適用することはできます。マインドフルネス訓練により陰性症状が軽快することが期待されます。

もう一方の禁忌の患者さんは心的外傷ストレス障害の患者さんです。この障害の患者さんに慈愛の瞑想をする場合です。幸福になって下さいと祈る相手が心的外傷に関連する人であると病状を悪化させる懸念があります。慈愛の瞑想では、祈ることが困難な対象は避けるように注意しなければなりません。」(83頁)





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