「瞑想、人格意識、言語、そして、発達障害」に関する私論/試論

本稿の構成

1 はじめに
2 扁桃体と自己防衛本能
3 人格意識の起源=自己の肉体の維持
4 言語(概念)の起源=自己の肉体の維持
5 人格意識及び言語活動による不安感の生成、そして、瞑想による改善
6 発達障害との関係



1 はじめに



瞑想、言語、人格意識(自我同一性)及び発達障害との関係について、質問を受けました。

瞑想、言語、人格意識の関連性については、以前から考えてはいたのですが、はっきりとした裏付けとなる資料に接していないことから、整理がついていなかったところ、回答を考えるうちに相当量になり、この際、広く指摘や批判を受けて、内容を充実させようと思い、ブログの記事として公開することとしました。

ちなみに、数日前にPCを壊してしまったため、スマートフォンで記事を書いていることから、参照文献等は全くなく、近日中にPCを購入の上、補充したいと思います。



2 扁桃体と自己防衛本能



瞑想の生理学的な効果については、不安感の中枢と呼ばれる脳の扁桃体の活動を低下を主たるものとみています。
この機序に関する文献上の根拠は

扁桃体の活動の低下――坐禅の生理学的効果(1)
https://ztkbtkmtk.hatenadiary.com/entry/2021/11/23/144342

の記事の引用を参照してください。

扁桃体は自己防衛本能とも関わりますが、私は、人格意識及び言語とは、自己防衛本能と関わるのではないかと考えています(以下は文献上の根拠のない私の考えです)。



3 人格意識の起源=自己の肉体の維持



人格意識は、のっぺりといた世界から自我を区分する意識ですが、原初的には、補食により、肉体の活動を維持するために、形成されたのではないかと思います。

つまり、何か食料になるものを捉えたときにそれをどこに投入すべきなのか。

肉体を維持するためには、のっぺりとした世界から区分された食料を投入する部分が特定できなくてはなりません。

Aが食料を握持して、Bの体内に投入しても、Aの肉体は維持できません。

そこで、Aは、世界の中から区分されたAという自己を特定する必要がある。

人格意識は、このような自己の肉体を維持するため、これを世界から区分する必要から生まれたのではないかと思います。



4 言語(概念)の起源=自己の肉体の維持



言語、すなわち概念も、他者とのコミュニケーション以前に肉体の生存のため、のっぺりとした世界を区分する必要から生まれたものと思います。

まず、自己の肉体を維持するためには、先にのべたとおり、自己が世界から区分されたものとして概念化される必要があります。

また、自己の肉体を維持するためには、のっぺりとした世界を区分して、その中から食料になるものを概念化する必要もあります。

さらに、自己の肉体を維持するためには、食料の補食等の利益を享受し、肉体の破壊をもたらす不利益を避けなくてはなりませんが、その予測を可能にするためには、具体的事象を帰納して、法則性を見いだす必要がありますが、そのためにも、世界の中に生起するのっぺりとした現象を区分し、その上、単に区分するだけではなく、その区分された事象について共通の特性を見い出し、その集合をやはり概念化する必要があります。

初心者向きの帰納法の例として、「カラスAは黒い、カラスBは黒い、カラスCは黒い…したがって、カラスは黒い」がありますが、カラスAもカラスBも個別具体的な存在でしかないところ、それをカラスという概念で括る必要があります。



5 人格意識及び言語活動による不安感の生成、そして、瞑想による改善



人格意識も、言語も、このような肉体の維持の必要性=自己防衛本能に由来するものと思われますが、自己防衛の意識の根底にあるのは、不安感です。

私たちは、未来において、利益を得、不利益を避ける自己防衛本能を働かせれば働かせるほど、その背後にある不安感を募らせるという構造があるのではないかと思われます。

利益の獲得が扁桃体の活動を活性化させ、うつ病になり易くなる機序には、このような利益を得ようと人格意識や言語的な解析能力を働かせることにもあるのではないかというのが今のところの試論です。

瞑想は、このように人格意識や言語活動の多用により活性化した扁桃体の活動を低下させる点で、人格意識や言語と関連を持つのではないかと思います。



6 発達障害との関係



瞑想と発達障害との関係については

「瞑想/仏教と神経的多様性」の素描
https://ztkbtkmtk.hatenadiary.com/entry/2022/05/15/211246

で詳述したとおりですが、発達障害の場合には、言語感覚の相違から、他者とのコミュニケーションの不全が起こり勝ちになるでしょうから、言語活動をすることに疲弊しやすくなるように思われます。

また、「偽装」をするための行動の予測をするに当たっては、具体的な事象の概念化が必要不可欠であり、その作業の過剰に疲弊しやすくなるのではないでしょうか。

もとより、感覚の違う他者に合わせることそれ事態が自己防衛本能に由来するものですから、負の満場を持ちやすくなり、扁桃体の活動を低下させるための瞑想が有用になる場面も多くなるのではないかと思われます。





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