扁桃体の活動の低下――坐禅の生理学的効果(1)

1 扁桃体とは?



坐禅のときのようにゆっくりとした呼吸をすると、血中二酸化炭素濃度が上昇し、セロトニンが分泌され、その結果、うつや不安感が解消、軽減することが判明しているとされています。

これが坐禅の効果のうち、有益な効果の主要なものではないかと思われます。

扁桃体については、ネット上に無料で読める専門的研究者による文献が多数ありますが、これに関するドキュメンタリーを担当したNHKのディレクター氏の講演の発言が非常によくまとまっており、長文になりますが、引用します。



山本高穂「脳の進化から探るうつ病の起源」『第11回 日本うつ病学会市民公開講座・脳プロ公開シンポジウム in HIROSHIMA 報告書』
http://www.nips.ac.jp/srpbs/media/publication/140719_report.pd



「脳の中心部に位置する大脳辺縁系には『扁桃体』と呼ばれる小さな器官が存在し、不安、恐怖、悲しみといったうつ病の症状に関連する感情をつかさどっています。最近のヒトを対象とした脳活動の画像研究により、うつ病の患者さんは健康な人に比べて扁桃体の活動が上昇しており、不安や恐怖の感情を強く受け止めてしまうことが明らかになりました。このことから、うつ病の発症には扁桃体が深く関与している可能性が示唆され、扁桃体を中心としたうつ病発症の仕組みを解明する研究が進められるようになりました。(略)

扁桃体はヒトがストレスから身を守り、生存していくために不可欠な自己防衛機能の指令系統の要だと言えます。しかし、ヒトが強い不安や恐怖などのストレスを長期にわたり受け続けると、扁桃体は過剰に活動するようになり、自己防衛機能は暴走します。その結果、大量のストレスホルモンが分泌され、やがて脳内のストレスホルモンが過剰となり、神経細胞の生存・活動に必要な栄養物質(BDNF)が減少してしまうことが明らかになりました。そして、この状態が長期間持続すると、神経細胞は栄養不足に陥り、脳が萎縮してしまうと考えられています。実際に、健康な人とうつ病の患者さんの脳の検査画像を比較すると、うつ病の患者さんの脳は萎縮していることが確認されています。(略)

ほ乳類は、前頭前野が大きく発達したため、社会のルールを作ったり、本能的な欲望をコントロールしたり、他人の気持ちを理解するなどの理性を保つことができるようになり、個体同士の結びつきを重視する「社会性」を確立することで繁栄してきたと考えられています。その一方で、社会性を持ったことで、大きなストレスにもさらされるようになりました。例えば、社会と隔絶された孤独な状態に置かれると、このままでは生きていけないという不安や恐怖に扁桃体が反応し、ストレスホルモンが大量に分泌され、孤独が原因となりうつ病を発症するようになったことが推察されています。(略)

近年、恐怖の記憶が残存する仕組みにうつ病の要因である扁桃体が深く関わっていることが明らかになってきました。

脳の構造を観察すると、扁桃体は記憶をつかさどる海馬に接していることが分かります。ある出来事を経験しても、扁桃体が活動しない場合には、その記憶の多くは海馬で消失し、やがて忘れられます。しかし、恐怖のように扁桃体が激しく活動する出来事を経験した場合には、それに応じて海馬の活動も増加し、その結果強い鮮明な記憶として残存すると考えられています。

このように、自己防衛機能として備わった扁桃体は、生き延びるために必要な恐怖の記憶の能力にも寄与することが脳科学的研究から分かってきました。一方、扁桃体が強く活動するうつ病の患者さんでは、恐怖を記憶する能力は、皮肉なことに、うつ病の苦しみを増大させるきっかけとなってしまうのです。」(2~5頁)



長文の引用になりましたが、扁桃体は脳の自己防衛の機能であり、それが過剰に機能することが不安感、ひいてはうつ病をもたらすと考えられているようです。

ここで重要だと思われるのは、扁桃体自体は、自己防衛の機能であって、これがきちんと機能していなければならないということです。

頑張りすぎの扁桃体の活動を少し休ませる必要があるとしても、活動が低ければ低いほどよいというわけではなく、ましてやなくしてしまってよいようなものでもないと考えられます。



(1)危険を察知できなくなる

←エレーヌ・フォックス(森内薫・訳)『脳科学は人格を変えられるか?』(2014年)

「左側の扁桃体を除去した結果、リンダは恐怖の回路の核を失うことになった。(略)

リンダは危険を示す一般的なサインを広範囲にわたって認識できなかった。たとえば彼女は、うなり声をあげている犬を平気でなでようとした。走っている車の目の前を歩き出そうとした。熱い炭を素手でそのままつまみ上げようとした。リンダの夫の話によれば、手術を受けてから最初の二年間、妻はしじゅう怪我をしていたという。」(154~156頁)

(2)適切に情動を発動できなくなる

←西条寿夫他「ストレス反応の身体表出における大脳辺縁系視床下部の役割」『日薬理誌126号』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj/126/3/126_3_184/_article/-char/ja/

扁桃体を損傷された動物およびヒトは,生物学的価値評価に基づいた情動発現が障害され,過去の記憶に基づき,自己に利益をもたらす可能性のあるものに対しては快情動を,逆に,不利益をもたらす可能性のあるものに対しては不快情動を発動することができない。」(185頁)

(3)対人コミュニケーション能力の障害

独立行政法人 放射線医学総合研究所分子イメージング研究センター「感情の中枢である扁桃体におけるドーパミンの役割を解明」https://www.jst.go.jp/pr/announce/20100224/index.html

扁桃体は、不安や恐怖などの感情を感じた時に活動することが知られています。過度な不安や恐怖が症状であるうつ病、不安障害やPTSDといった精神疾患においては、扁桃体の活動が過剰であること知られています。反対に統合失調症自閉症に認められる感情や対人コミュニケーションの障害が扁桃体の活動の低下と関連していることも知られています。」



2 呼吸回数の低下による扁桃体の活動の低下



 坐禅では、ゆっくりと呼吸をすることが勧められますが、ゆっくりした呼吸をする、すなわち、呼吸回数を減らすことにより、血中二酸化炭素濃度が低下し、セロトニンが分泌され、扁桃体等の活動が低下し、うつ病の改善効果があるとされます。



「現在うつ病の薬として脳内のセロトニンを増やすという薬を使います。セロトニンは脳幹にある縫線核(ほうせんかく)というところの細胞が長い突起を伸ばし、その突起の先から出されます。とくに、感情の場である大脳辺縁系扁桃、海馬、帯状回)にセロトニンを出します。そうすると精神が安定するとされるのです。 

 呼吸を止めると苦しくなります。それは血中の二酸化炭素が脳の呼吸中枢を刺激するあからです。そこで苦しくなり、息を吐き出し、早く呼吸をします。それは早く二酸化炭素を体の外に出そうとする反応です。またゆっくり呼吸すると血中の二酸化炭素の量がある程度増えます。だから少し苦しくなり、早く息をしたくなるのです。このような二酸化炭素は脳内でセロトニンを増やす効果をもつのです。つまり脳内の二酸化炭素が増えると脳内に多くのセロトニンが放出されるのです。」

高田明和『一日10分の坐禅入門――医者がすすめる禅のこころ』142~143頁)



前記文献では、セロトニンの分泌が扁桃体を含む大脳辺縁系全体に及ぶものとされていますが、呼吸回数が増大すると偏桃体の活動が活性する関係にあることについては、広く認められていることから

「呼吸回数の低下→血中二酸化炭素濃度の上昇→セロトニンの分泌→扁桃体の活動の低下→うつ傾向・不安傾向の改善」

という機序があるのではないかと思われます。



「ネガティブな情動は扁桃体が中心で、障害され機能がしなくなると、恐怖などあらゆる感情が起らなくなります。ここに絡む呼吸を情動呼吸と呼んでいます。(略)

扁桃体でも呼吸のリズムが生まれていて、このリズムは情動と共に変化しています。不安になった時、呼吸数は増大し、呼吸は速くなります。(略・107頁)

不安と呼吸は一体となって動くので、その人の呼吸数を少しでも下げれば不安も和らぎます。世の中に出ている呼吸法はすべて、呼吸をゆっくりにする方法です。」
(本間生夫「呼吸と健康」『大法輪』(2020年3月号)106~107頁 



また、扁桃体は、前記のような自己防衛機能と相まって、「恐怖の回路の中心」などと呼ばれ、その活動の過剰が、様々な精神疾患の要因になっているのではないかと考えられています。



「快楽をつかさどる領域と同じく、緊急事態に対処する脳の領域は、個々に分かれた――しかし強く関連しあう――多くの組織から成り立っている。これらの組織の大半は皮質下の奥深くに埋め込まれており、たがいに密な関係をもつと同時に、上にある大脳皮質とも強く結ばれている。これらはどれも恐怖反応において重要な役割を果たすが、いちばん中心にあるのは<扁桃体>と呼ばれる組織だ。(略)

恐怖の研究の最前線に立ってきたニューヨーク大学の心理学者ジョセフ・ルドゥーは、おもにラットを用いた実験で、扁桃体が恐怖の回路の中心にあることを突きとめた。」

(エレーヌ・フォックス(森内薫・訳)『脳科学は人格を変えられるか?』136~137頁)



「SAD(社交不安障害)やPD(パニック障害)、PTSD(心的外傷ストレス障害)、特定の恐怖症などは、“Stress―incduced fear circuitry disorders”として1つにまとめることができる。これらの障害の病態は、多少違いはあるにせよ。「恐怖の条件づけ(fear conditioning)」に関連した神経回路の機能不全(fear circuitry dysfunction)と考えられている。(略)

この回路の基本的プロセスにおいて極めて重要な役割を演じているのは、扁桃体である。(略)

SAD(社交不安障害)では、扁桃体だけでなく、行動の監視に関与している前部帯状回や前頭領域の活動亢進、そして大脳基底核での活動低下が推定されており、SSRIやCBTによって各領域の活動性が正常化するとされている。(略)

パニック発作時には様々な体性感覚は視床に入り、視床扁桃体回路が活性化する。そしてこの扁桃体の活性化が、今度は視床下部や脳幹へ延びる遠心海路の活性化につながり、恐怖反応が伝達する。(略)

PTSDでは、危険が過ぎ去った後も、『オフライン』状態が維持されるため、潜在記憶と健在記憶の解離が持続し、トラウマの処理とその後の適応反応の妨げとなる。トラウマを反復して想起することにより、潜在記憶、つまり視床扁桃体回路が活性化するが、それを抑制する前頭皮質による処理ができないため、症状が繰り返される。」

(塩入俊樹「不安障害の病態について:stress-induced Fear circuitry Disorderを中心に」『精神経誌』112巻8号799~803頁)



「身体脳(視床と一次性体性感覚野)に何らかの身体的痛覚(侵害)情報が伝えられると、身体脳はこの情報を辺縁系に伝え、脳幹や大脳各領域からの情報をすべて統合した形で、扁桃体から海馬を介して記憶の回路へ組み込もうとする。通常であれば扁桃体への情報伝達は一過性であり、扁桃体の興奮は次第に収まり、疼痛体験の記憶が定着化することはない。しかし身体からの痛覚情報が長期に繰り返されたり、陰性情動(恐怖、不安、怒り、悲嘆感)という付帯情報が繰り返される場合は、疼痛体験の記憶(短期記憶)が海馬から繰り返し引き出され、疼痛体験の記憶が定着化するようになる。扁桃体は常に過敏となり、僅かな情動刺激にも反応するようになる。つまり身体脳からの痛覚情報がなくとも、陰性情動のみで疼痛体験の記憶が容易に身体化し、『痛み』として体験されることになる。これが慢性疼痛の脳内での中心的維持機構であると考えられる。」

(北見公一「プライマリ・ケアとメンタルヘルス:慢性疼痛と心因性疼痛」『北海道医報』1029号8頁)



したがって、精神的な問題の改善の上では、扁桃体の活動の低下が、坐禅の主要な生理学的効果であるものと考えられるのではないかと思っています。

坐禅のほかマインドフルネス等の実践において、ゆっくりとした呼吸をすることの合理性はこのようなところにあるのではないかと思っています。



「健康法として取り入れる際には下記の点がお勧めです。

1 息を十分吐くことを意識する。
2 お腹を使った腹式呼吸(息を吐く時にお腹を凹ませる)
3 ある一定のリズムでゆっくりくり返す

お腹を使ってゆっくり息を吐くことは自律神経、特に副交感神経というリラックスの神経を刺激することにつながり、ストレスや過労で緊張状態の現代人には有効です。息を十分吐くことで肺に残っている残気量が減るために、空気の出入りも多くなり換気効率が上がります。お腹を凹ましながら息を長く吐くことで腹腔内の血流もよくなる可能性もあります。」

(打越曉「呼吸力を高める」『大法輪』(2020年3月号)111頁)



「吸うときよりも吐き出す方に重点を置き、妄念を吐き出す気持ちで静かにゆっくりと吐くことで、自然と緊張感がほぐれてくるのです。」
(住谷瓜頂「禅の呼吸法」『大法輪』(2020年3月号)126頁)



 ゆっくりとした呼吸をすることは、ヨーガの呼吸でも同じであるとされます。



「どのような呼吸法であっても、それを通じ呼吸についての自覚力を高め、心身に安定をもたらず呼吸、つまりいつでもゆっくりとした深くリズミカルな呼吸になるようにするのが基本的な狙いです。」

(龍村修「ヨーガの呼吸法」『大法輪』(2020年3月号)120頁)



血中二酸化炭素濃度を上げることがポイントと思われることから、私自身は、鼻から息をゆっくりと吐き出して吐ききった後、自然に軽く息を吸うことをくり返してやっています。



3 扁桃体の活動低下と統合失調症



(1)扁桃体の活動低下による幻覚体験



「呼吸回数の低下→血中二酸化炭素濃度の上昇→セロトニンの分泌→扁桃体の活動の低下→うつ傾向・不安傾向の改善」

との機序に関し、興味深く思われるのは、1(3)で引用した、独立行政法人 放射線医学総合研究所分子イメージング研究センター「感情の中枢である扁桃体におけるドーパミンの役割を解明」に出てくる統合失調症について、扁桃体の活動の低下が認められるとの指摘です。

坐禅の際には、魔境と呼ばれる幻覚体験が生じることが知られますが、これも扁桃体の活動低下による統合失調症様の症状と見ることができるのではないかと思われます。



「サマタ瞑想の目指す精神集中、ヨーガや仏教で「三昧」(samadhi)と呼ばれる状態(略)では活発なイメージや幻覚体験といった意識変容状態が生じることもあり、禅ではこれを「魔境」と称して注意を促す」

(大谷彰『マインドフルネス入門講義』26頁)



「いい気持ちになって陶酔できるほどに定力が練れてきたころになると、定中にいろいろな現象があらわれることがある。その現象にはよいものもあれば悪いものもあるが、それらをひっくるめて古来「魔境」と呼んでいる。(略)
これは好い境界だ歓迎すべき境界だとおもわれうようなものはちょっと始末が悪い。よく独参(略)のときなどに修行者が、「あたりが全部まっしろくなってしまいました」とか、「体が空になってズーッと天まであがって行き、天一杯にひろがりました」などといって、いかにも無を見たかのように得々としている者もある。もっとも私自身もそれに似たようなことをいって得意がっていたら、先師から「それは多分眠っているのだろう」などと冷やかされたこともある」

(大森曹玄『参禅入門』117~118頁)



「魔境は,心理学的にいうと坐禅の修行中に遭遇する一種の幻覚体験であるといえよう。幻覚は,精神病の典型的な徴候の一つであるために正に病理的な現象である。(略)

人格発達の面で自我形成が未分化な場合,防衛機制によって処理できない内容に唐突に遭遇することで,不安や恐怖で一時的に錯乱したり,一種のノイローゼ症状を呈する場合もある。

(斎藤稔正「変性意識状態と禅的体験の心理過程」『立命館人間科学研究 第5号』51頁)



なお、血中二酸化炭素濃度の上昇(=酸素濃度の低下)が幻覚体験等をもたらすことについては、以下のような指摘もあります。



臨死体験は、何が原因で起きるのでしょうか?

このような不思議な体験談の謎も脳のしくみで解くことができます。

人間は心臓が止まるような瀕死の状態に陥ったとき、血流が止まり脳への酸素やグルコースの供給が止まってしまいます。そのとき

脳は酸欠状態に陥り

暴走をはじめることがあるといいます。

脳の活動電位が不規則に高まっていき、まったく関連のない信号を発し続けるのです。いわゆる脳がショートしてしまった状態になるわけです。そのために脈絡のない記憶が次々と現れてくるので、「子供のときの記憶や懐かしい故人が走馬灯のように現れた」と思い込むのだそうです」

(新井公人監修『脳のナゾ』142~143頁)



「死に際になると、呼吸状態も悪くなります。呼吸というのは、空気中の酸素をとり入れて、体内にできた炭酸ガスを放出することです。これが充分にできなくなるということは、一つには酸素不足、酸欠状態になること、もう一つは炭酸ガスが排出されずに体内に留まることを意味します。

酸欠状態では、前述のように脳内にモルヒネ様物質が分泌されるといわれています。柔道に絞め技というのがありますが、あれで落とされた人は、異口同音に気持ちよかったといっています。酸欠状態でモルヒネ様物質が出ている証拠だと思います。

一方炭酸ガスには麻酔作用があり、これも死の苦しみを防いでくれます。」

(中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死のすすめ」』64頁)



以上のとおり、扁桃体の活動は低下すればするほどよいものではなく、瞑想には副作用もありますから↓
https://ztkbtkmtk.hatenadiary.com/entry/2021/11/14/210348



瞑想のやりすぎには気をつけるべきでしょう。



(2)いわゆる「悟り体験」



ア 自他不二の体験としての悟り体験



扁桃体の活動低下と統合失調症との関係では、いわゆる「悟り体験」との関係性があるのではと考えています。

「悟り体験」については、「自他不二の体験」などと言われたりもします。



「『悟り』とは、今まで『差別』の世界しか知らなかった自我が、自我を空じて無我に徹したところで、“自他不二・物我一如”という『平等』の世界が根底にあったということに目覚めることである。」

(秋月龍珉『日常の禅語』27頁)



「自己の本性を悟るといっても、べつに今までになかった新しい知識を得ることではなく、いままで後生大事に背負い込んでその重さに耐えかねていた自己という妄想の固まりを放り出して、天地宇宙と一つに融け合った瞬間の体験が悟りだ」

(大森曹玄『参禅入門』241頁)



「長香一炷(一本)がすみ、独参の喚鍾がでるのをまちかねて、まっさきに入室し、湘山老師にいきなり、『できました』と申し上げました。それまではいつも『できません』としかいったことのない私が、勢いこんでこういいましたので、老師も、『ふうん、どう見たか』と。私が見処を申し上げると、『そう見まいものでもない』と。その場でいくつかの拶処(問題)を透りました。ここにくわしくは申し上げられませんが、ここで私は佛心の一端を見たのであります。佛心は生を超え死を超えた、無始無終のもの

《佛心は天地をつつみ、山も川も草も木も、すべての人も自分と一体であること》

しかも、それが自己の上にぴちぴちと生きてはたらいて、見たり聞いたり、言ったり動いたりしているのだという。祖師方の言葉が、そのとおりであるということを知ったのであります。」

(朝比奈宗源『佛心』35~36頁)



イ 統合失調症の自我意識障害



以上のような「自他不二の体験」としての悟り体験に関しては、統合失調症の自我意識障害に近しいものがあります。



「(統合失調症の症状としては)自分と外界の境界が曖昧になるために自我意識障害もみられる。これは、思考が他人に抜き取られる(思考奪取)、または吹き込まれる(思考注入)と観じたり、自分が誰かに操られている(作為体験)と確信したりする状況である。」

(原和明監修 渡邉映子 藤倉孝治編集『はじめて学ぶ人の臨床心理学』221頁)



統合失調症で特徴的なもう一つの症状は、自分と他者との境界が崩れ、自我が侵犯されることである。これを「自我障害」と呼ぶ。自分と他者との境界を自我境界と呼ぶが、統合失調症の人は、自我境界が脆かったり曖昧だったりするのである。自分の秘密がみんなに筒抜けになっていると感じる「自我漏洩症状」、自分の考えが周囲に広まっていると感じる「思考伝播」はよく出合うものである。(略)

逆に、外界から他人の思考や異物が自分の中に侵入してきたり、自分をコントロールされるように感じる場合もある。他人の考え方が自分の頭の中に入り込んでくるように感じる「思考侵入」、外界(他者)が自我の中に侵入してくるように感じられる「侵入症状」、何者かに操られているように感じる「操られ体験(被影響体験)」なども特徴的な症状である。自我障害を幻覚妄想症状に含めて考えることもある」

岡田尊司統合失調症』97頁)



「自分と外界の境界が曖昧になる」や「自分と他者との境界が崩れ」るなどの症状は、自他不二に通じます。

また、思考注入や思考侵入などと呼ばれる現象は、修行等により極限状態に追い込まれた宗教家が、神などの超越的存在からの啓示を受けるなどの現象とも整合しそうです。



いわゆる「悟り体験」は、このような脳の生理現象のではないかと思われ、一生懸命になって追い求めるものではないでしょう。

次の岡田宜法師の言葉は支持できます。



「禅は人間としての生活を出ない。禅の目標は人間完成にある。悟りを強要するような禅は、見性流の禅であつて、超人生活をあこがれる人々の迷妄である。」

(大竹晋『「悟り体験」を読む 大乗仏教で覚醒した人々』258頁からの引用)





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【参考資料】瞑想の副作用

(1)齊尾武郎「マインドフルネスの臨床評価:文献的考察」『臨床評価』46巻1号
http://cont.o.oo7.jp/46_1/p51-69.pdf

「近年のうつ病の多発から,職場のメンタルヘルスに対する関心が高まり,我が国における精神医療へのアクセスは,以前と比べると各段に改善した.しかし,エビデンスベーストな心理療法認知行動療法など)を行うべきケースにそれが行われていないなど,必ずしも適切な治療を受けておらず,患者たちの中には,自助努力として,瞑想・マインドフルネスに取り組んでいる人も少なくない.そうしたケースの中には,その結果,かえって病状が重くなったと訴える人もいる」(52頁)

※60頁に掲載された「瞑想の主な副作用・有害事象」に関する表の内容

○精神病性症状(幻覚妄想状態)
―――幻聴,幻視,追跡妄想,自殺企図
○気分症状
――躁状態(誇大妄想,観念奔逸,多弁,過活動,性的脱抑制),抑うつ状態(意欲減退,ネガティヴ思考,自殺企図)
○不安症状
――不安,パニック,緊張,イライラ,不穏
○身体症状
――頭痛,筋痛,上腹部痛,嘔気,食思不振
○解離症状
――離人感,現実感喪失,見当識喪失,意識喪失,トランス状態(人格の同
一性の感覚の消失)
○その他――
不眠,瞑想依存,脳波異常(側頭葉にspike),他者に対する陰性感情,社会からの疎外感

「Deese-Roediger-McDermott paradigmを用いた認知心理学的実験により,マインドフルネスにより偽記憶形成が高まる可能性が示唆されてもいる(しかし,再現実験でこれを否定する結果も出ている)」(60頁)

「1992年のカリフォルニア大学精神科・人間行動学のDeane H. Shapiro教授の論文で,27名の瞑想者のうち,62.9%になんらかのネガティヴ反応があり,7.4%には重篤な副作用が生じた(先行研究では,瞑想歴の長い人のほうが初心者よりも副作用が多いという結論であった)という論文が紹介されている.続いて,認知行動療法創始者の一人,Arnold Lazarusが1976年の論文で,瞑想で副作用が生じたケースが複数例あると述べ,瞑想は万人向けのものではないとしていることや,同じく認知行動療法創始者の一人,Albert Ellisも瞑想後に解離性亜トランス状態になった人が数名いると述べていることに触れられている」(61頁)

アメリカでは,集中力を高め,創造性を引き出すことなどを目的として(すなわち,ビジネスの能力を高めるために),有名会社でマインドフルネス・プログラムが採用され,マインドフルネスはブームとなっている.しかし,逆説的なことに,マインドフルネスにより批判的思考を避けるようになったり(回避リスク),マインドフルネスを会社のリーダーから強要されたりする(集団思考リスク)など,ビジネスの能力を低下させる可能性も指摘されている」(61頁)

重篤な精神医学的な副作用・有害事象(幻覚妄想状態,躁状態抑うつ状態,解離状態など)が報告されていることに鑑み,瞑想・マインドフルネスの副作用を軽視すべきではないと考える.現状では,MBIは必ずしも精神医学・精神保健的な専門的な知識・経験を十分に持つ指導者が行っておらず,MBIの各種の適応症の根拠はいまだ不十分であり,副作用の生じる可能性があることを含め,MBIを受けようとする人々に,その有効性・安全性について十分な情報を提供しないままにMBIを指導することは非倫理的であると考える」(63頁)



(2)池埜聡、内 田 範 子「「第2世代マインドフルネス」の出現と今後の展望-社会正義の価値に資する「関係性」への視座を踏まえて-」『Human Welfare』12巻1号
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=29697&item_no=1&page_id=30&block_id=85

「マインドフルネスが問題を個人に帰結させ、組織構造的、さらには社会的な影響を不可視化することに加担しているという見解である。「企業マインドフルネス」を例にとると、マインドフルネスをストレス対処のための処方箋として位置づけることで、問題解決を個人に委ねてしまい、企業の構造的な問題を隠してしまうリスクが潜在し て い る と 見 な す(Gelles, 2015 ;Purser & Loy, 2013)。マインドフルネスによって個人の生産性と満足度が高まり、企業の利益にもつながるという一見すると企業と就労者のウィン・ウィンの関係の背後には、問題を個人化させ、結果的にストレスを生み出す構造を助長することになりかねない、という主旨の批判である」(91頁)

「マインドフルネスの効果が多次元のレベルから実証され、「脳の構造が変わる」とまでもてはやされ「る中、マインドフルネスがストレスや悩みの解消をもたらす万能薬であるような誤解を生む傾向が生まれている。しかし、マインドフルネス瞑想だけではトラウマや実存的な苦悩からの解放は得られないという点が理解されないまま、瞑想に万能性を求める人が少なくない現状が危惧されている(Kornfield, 1993 ; Treleaven, 2018)。

「スピリチュアル・バイバッシング」とは、「スピリチュアルな考えやプラクティスを用いて未解決の情緒的問題、心的外傷、そして未処理の発達上の課題などに直面することを避ける傾向」と定義される」(91頁)

「臨床マインドフルネスのプラクティスでは、想起される思考や感情にとらわれず、手放していくという認知的プロセスを訓練する。しかし、人によっては過去に生じたトラウマ記憶を手放すことに没頭してしまい、トラウマ記憶の否認や回避を強化してしまうことになりかねない。瞑想法に聖なるものや神秘性を付与することで、さらに問題の回避が促され、結果的に異なる指導者や実践の機会を探し求めてさまよう「瞑想難民」と称される人々が生まれてしまう現状も報告されている(ナラテボー・魚川,2016)。

「『今、この瞬間、マインドフルに』という瞑想指導は、その人の苦悩や痛みを軽んじることになりかねない」。これはトラウマに配慮したマインドフルネス瞑想のあり方を発信する David Treleaven の 言 葉 で あ る(Treleaven, 2017 : 26)。彼は、マインドフルネス指導者の多くがエリート主義にもとづく見せかけの親切心によってトラウマの問題を過小評価していると批判する。Treleavenはまた、マインドフルネス指導者の中にはトラウマに対する専門的知識をもたず、瞑想法のガイドライン固執することで、スピリチュアル・バイパッシングを強化している現実に気づいていない人も多数存在していると指摘する」(91~92頁)



(3)飯塚まり「多様性とリーダーシップ:マインドフルネス・コンパッションからのアプローチ」『組織科学』50巻1号
https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshikikagaku/50/1/50_36/_pdf/-char/ja

「欧米由来のマインドフルネスについて、日本では導入期ということもあり、その効用が強調されているが、マインドフルネスや瞑想には注意点もある。特にマインドフルネスが流行し、産業として成り立ち、商業主義が席巻している中では、心配な点も出て来る。

まず、瞑想についてであるが、マインドフルネスは安全とされてはいるが、それでも、トラウマ記憶に対してのコーピング能力など、個人によっての安全性の問題や、禁忌がある(略)

また、そもそも、瞑想は、昔から経験を積んだ師について行う活動であり、軽く1日5分の瞑想をしている分には問題ないかもしれないが、深い瞑想を長時間するような場合には、自分に適した師を探すということが重要になってくる。(略)

瞑想から気分が悪くなったりする可能性もある(略)。また、瞑想によって、大きく人生を変えたくなり、現実社会での困難に直面するということも考えられる。(略)

また、世俗化したマインドフルネスは。現代資本主義の価値観の中で、集中力やパフォーマンスの向上といった個人の利益(エゴ)に訴えてひろまっており、それに対しての懸念も表明されている。極端な例であるが、マインドフルネスは、兵士にも応用されているが、マインドフルネスの不安を解消させて殺戮をすることが望ましいのかという疑問がある。」(42~43頁)



(4)宮脇秀貴「エンパワーメントと洗脳」」『香川大学経済論叢』82巻3号
http://shark.lib.kagawa-u.ac.jp/kuir/metadata/3528

「通常の意識では,注意は,五感を通して外側へ向けられるのに対して,トランスにおいては,注意は内側へ向けられ,人は内面で聞き,見,感じるようになる。Hassanによれば,自分たちは宗教だと主張する多くのカルトでよく行われている瞑想と呼ばれるものは,カルトのメンバーがトランス状態に入るプロセス以外の何ものでもなく,そのトランス状態の中で,メンバーは,カルトの教義にますます従いやすくなるような暗示を受けるようになるのである(p.57, 訳 p.110)。また,トランス状態は心地よいリラックスの体験であるため,人々は,できるだけ,度々またトランスに入りたいと思うようになるだけでなく,一番重要なこととして,トランス状態では,人々の批判的能力は減退してしまうのである」(83頁)



(5)大谷彰『マインドフルネス入門講義』

「マインドフルネス実践中にトラウマの自然除反応が発生することからも明らかなように、臨床マインドフルネスでも治療の差し障りとなる反応が生じることは早くから知られています(略)。マインドフルネスに伴う弊害をテーマにした論文(略)には、自然除反応や意識変容をはじめ、リラクゼーションに伴う不安とパニック、緊張感、生活モチベーション低下、退屈、疼痛、困惑、狼狽、漠然感、意気消沈、消極感亢進、批判感情、『マインドフルネス』依存、身体違和感、軽い解離感、高慢、脆弱性、罪悪感といった広範囲にわたる項目が記載されています。このリストから臨床マインドフルネスが禁忌となりやすい条件が推察できます。

仏教に造詣の深い精神科医精神科医マーク・エプスタインは、臨床マインドフルネスの悪影響について、マインドフルネスの進展レベル(初心者/熟練者)、およびクライアントのコーピング能力(高/低)という2つの視座から論じています(略)。彼によるとマインドフルネスでは初心者から熟練者までの各レベルにおいて幅広い『副作用(side effects)』(たとえば、知覚の変化、不安、焦燥、トラウマ記憶再生(自然除反応など)が生じる。これらのなかには「病的」なものもあれば、一過性の困難やトラブルにすぎないものもある)(略)。こうした現象が適切に処理できればまったく問題とはならないが、対応が一時的に困難となった場合や、コーピング能力の低いクライアントには深刻な問題になりかねない、と警告します。この区分によると、トラウマ記憶によるマインドフルネス実践中の自然除反応は『一過性困難』の典型であり、境界性パーソナリティ障害のクライアントは『コーピング能力の低いクライアント』のケースと言えるでしょう。要するに、臨床マインドフルネス実践では、クライアントのあらゆる反応に留意することが必要であり、なかでもコーピング能力が十分に確立されていないクライアントには特別の配慮が必須とされるのです。」(195~196頁)

*コーピング=ストレスマネジメント手法の一つ。自分のストレスの感じ方を認知・内省して対処する方法。

境界性パーソナリティ障害=情緒不安定パーソナリティ障害とも呼ばれる。不安定な自己 - 他者のイメージ、感情・思考の制御不全、衝動的な自己破壊行為などを特徴とする障害。自傷行動、自殺、薬物乱用リスクの高いグループ。

「コーピング能力の未発達からマインドフルネスが困難となるケースには、境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害(略)などのパーソナリティ障害、PTSD(略)、薬物依存、衝動制御困難といった障害を抱えるクライアントが該当します。これらの障害はDBT、ACT、メタ認知療法などの臨床マインドフルネスが治療対象とする領域です。DBTの専門家たちは、こうした障害に対するマインドフルネス応用を次のように説明しています。

長時間におよぶマインドルフルネスの実践は、深刻な心理障害をもつクライアントには適用すべきではない。ある程度の基本スキルなしに実践することは失敗をまねく原因となるので、段階的に訓練を積んでゆくのが望ましい。」(197頁)

「自殺願望の強いクライアント、トラウマ体験から時間の浅いクライアント、自我強度(ego-strength)の低いクライアント、深刻な認知障害発達障害、精神病(略)などの心理障害をもつクライアントにも、臨床マインドフルネスを禁忌とみなす識者もいます。(略)困ったことに、既存のマインドフルネス効果の過大評価が指摘され(略)、臨床マインドフルネスの適用と禁忌の判定がいっそう困難になりました(略)。」(197~198頁)

「臨床マインドフルネスの禁忌はまた、マインドフルネスの実践がクライアントにとって過分な負担となる場合にも当てはまります。」(199頁)



(6)大谷彰「マインドフルネスの進化と真価」飯塚まり編著『進化するマインドフルネス ウェルビーイングへと続く道』

「イギリスのオックスフォード・マインドフルネス・センターの2016年10月号の機関紙にはルース・ベアとウィレム・カイケンによる「マインドフルネスは安全か?」という記事が掲載された。このなかで、リトリート(合宿)形式のマインドフルネス訓練が特に問題となりやすい、と彼らは指摘している。

この記事に次いで、マインドフルネスのもたらすマイナス体験の実態調査が、(略)発表された。この研究では参種類の瞑想(テーラーワーダ、禅、チベット)実践者、総計60名から6年間にわたりデータが収集された。統計結果を見ると、72%が『リトリート中もしくは終了後に問題が生じた』と答え、オックスフォード・マインドフルネス・センターの見解を裏づけている。個人の実践では28%が『不快体験あり』と回答した。不快反応のタイプについては『恐怖、不安、パラノイア』(82%)が抜きんでている。しかし特筆に値するのは、マインドフルネスによるトラウマ記憶の再体験である。これは実践者の習熟度にかかわらず、約半数近くの実践者(初心者43%、熟練者47%)に生じた。研究対象の被験者数が60名と比較的限られているにせよ、(略)マインドフルネスにより『瞑想難民』のみならず、『瞑想病人』の出現すら危惧されるからである。 」(34頁)



(7)佐藤豪「心理カウンセリングのなかで」飯塚まり編著『進化するマインドフルネス ウェルビーイングへと続く道』

「マインドフルネスがさらに多様な人々に広がってゆくことは望ましいが、その注意点や問題点についてもさらに明確にしてゆくことが望まれる。特に自我境界の弱い人にどのように適用するか、自我の混乱を起こさないためにどのような配慮をするかなどを検討してゆくことが重要である。」(46頁)

「動機づけが強くなりすぎて『これさえ毎日おこなっていれば自分は癒やされる』と思ってしまうと、どうしても力んでしまって、自律訓練法で言うところの受動的注意集中や適度なリラックスができにくくなってしまう。 (略)マインドフルネスの瞑想は『意識を集中する』ということにスタートラインがあるため、どうしても、「身体を使う」という現実と接点をもつことが適切に出来にくいという難点があるように思われる。(瞑想等については)無意識のなかにあったさまざまな瞑想や衝動性といったものが意識のなかにあったさまざまな願望や衝動性といったものが意識のなかに侵入してくることによって、心のバランスを崩し、現実から乖離した状態を起こすと言えるだろう。瞑想などの方法では、そのような危険性をチェックすることが必要であると思われる。」(49~51頁) 

「強い怒りなどを持っている人が、その感情と距離を置いて、瞑想のなかでその感情を適度に発散し、コントロールしていく、というのはなかなか難しいことではないだろうか。しばしば自律訓練法の場面においても、強い怒りのために訓練に導入することができない場合や、訓練が終わった後に怒りを表出してしまう人などもいる。セラピストはこのようなことに十分に配慮して自律訓練法の指導をおこなうが、それでもコントロールできないことがしばしばある。このようなことからすると、人が自分自身で瞑想に入ったときに怒りなどの感情をうまくコントロールして昇華することは、なかなか困難であると思われる。」(51~52頁)



(8)プラユキ・ナラテボー 魚川祐司『悟らなくたっていいじゃないか』

「魚川 あくまで極端な例だとは思いますけどね。とはいえ、やはりリトリートの参加者たちの中で、そこでの経験を瞑想センターの外での日常生活に、どのように繋げていけばいいのかという点に関する困難を、多かれ少なかれ感じた人は多かったようです。実際の所、日本で瞑想をしている実践者にも、同種の困難を感じている方々は多いと思います。」(70~71頁)

「プラユキ (略)『幸福になるために瞑想をはじめたはずなのに、かえって苦しみが増えてしまった気がするのだけど、どうしたらいいでしょうか』と言う人が、私の瞑想会や面談会にいらっしゃることはよくあります。そういう方々を見ていると、やはり『過度の集中』が、身心のバランスを崩す主要因になっているように思われる。

過集中の問題については(略)、一つにはやはり『スピード』が遅れること、つまり、集中というのは流動し変化する現象を敢えてデフォルメし、それを固定的な対象とすることで成り立つものですから、そこにハマってしまうと、イキイキとした現実に対応する機動性や柔軟性が失われてしまう。

そして、この集中によるデフォルメされた認知から派生するもう一つの大きな問題は、それが心理学で言うところの「解離」の症状や、「回避」の行動をもたらすことです。私が蚊に刺されたかゆみが全く平気になるようなトランス状態に入ったのに、にもかかわらず村の騒音にどんどん過敏になっていったように、現実に生じている事態からどんどん遊離していって、その平安な状態を乱すものに対して、嫌悪の情を抱くようになるんですね。

実際、私がお話しした「瞑想難民」の方にも、集中の境地にとっては邪魔になる思考や想念を悪者に見立てて、そこから離れようとしてしまい、結果として感情が乏しくなってしまったり、さらには人間関係も上手く結べなくなってしまったりする方が何人もいらっしゃいました。ほとんど病的な解離症状に陥っているわけですけれども、瞑想の場合に厄介なのは、指導者によっては、そういう状態を『瞑想が進んでいる証』として、肯定してしまったりするわけです。それでますます、困難な自分の現状から逃げるために回避行動としての瞑想に没頭し、さらに状況を悪化させていくというスパイラルに落ちていく。」(137~138頁)



(9)プラユキ・ナラテボー「ピュア・マインドフルネスと瞑想」飯塚まり編著『進化するマインドフルネス ウェルビーイングへと続く道』

「日本やタイでは、苦しみから抜け出そうと瞑想していくうちに、さらに多くの苦しみを抱えてしまう『瞑想難民』が増えている。」(66頁)

「苦しみから抜け出そうと瞑想をしているうちに体調を崩したり、抑うつ感、絶望感や自己嫌悪感を感じるようになったり、人間関係がぎくしゃくするようになったり、なかには、統合失調症離人症、感情障害や摂食障害のような不調をきたす人もいる。

その要因として瞑想をストイックにやりすぎて、心身機能のバランスを崩すケースが多い。心身の土台がしっかり整っていない状況で、心というデリケートな対象にアプローチした結果、それまで自然に機能していた生命状態が撹乱し、心身の調和が乱れ、通常の認知状態に戻る柔軟性も失われてしまい、種々の症状となって現れてくるのである。

たとえばこんな感じである。精神状態がちょっとすぐれないので、『瞑想で解決しよう』と思いたつ。けれども、集中が思うように続かず、『俺はダメな人間だ』と考えて、無能力感や絶望感に陥ってしまう。心を楽にしようと思って始めた瞑想が、いつの間にか『苦悩の増幅法』にすり替わる。しかも本人はそれに気付かずに、『いつかは成果が……』と自己を叱咤しながらやり続ける。そのうちに種々の精神障害を発症。心がさまざまな不調のシグナルを発していたにもかかわらず、無理してやり続けることで症状を悪化させてしまうのである。」(70~71頁)

「細かい身体感覚への集中を取り澄ます瞑想に取り組むようになってから、そうした症状(服を身につけるなどしたときに身体に痛みが生じるようになること等)に見舞われるようになったという。」(71頁)

「また、以前気にならなかった周囲の音がすごく気になるようになって、日常生活のなかでイライラや恐怖感を感じることが多くなるといったケースもよく聞く。

その他に、ラベリング系の瞑想で、心に対してラベリングしていくうちに、いつの間にか自分が発した言葉の威力に圧倒されてしまう、あるいは虜になるといった人も少なくない。」(71~72頁)



(10)横田南嶺・熊野宏昭「禅僧と医師、瞑想スクランブル」『サンガジャパンvol.32』

「(横田)サマタ瞑想、集中瞑想をしておりますと、先ほど来、説明がありましたように、外の世界を断ち切る修行ですから、逆にこれを妨げるもの、外で物音がしたり、邪魔をするようなものに対して非常に不愉快な感情が起きます。排他的な感情が起きます。下手をすると攻撃的になったりするのであります。

よく笑い話で言うのですが、居士林という坐禅道場がありまして、集中瞑想ばっかりやっているんです。すると、どういうことがあるかと言うと、たとえば、外で観光客がうるさかったりすると、外に『坐禅中につき静かにしろ』と貼り紙を出して注意する。しかしそれでも静かにならないと、外へ出て「おまえたち、今、俺たちは坐禅してるんだ、静かにしろ」と叫ぶ。『おまえが一番うるさいんだ!』と言いたくなるんですけれども、そういう愚かなことをやっているんです。皆さん笑いますけどね、本当にそういうことをやっている。」(80頁)

「(横田)外の情報を断ち切って一点に集中するということは、大きな力を得るという利点はあります。様々な欲望を克服していったり、自分の弱さを乗り越えていく大きな力になるのは感じます。でも、先ほど居士林の笑い話をしたように下手をすると排他的になり、攻撃的になってしまう、諸刃の剣のような一面も持っているのではないかという懸念を抱いております。」(84頁)

「(熊野)先ほどサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想が、それぞれ医療とか心理臨床の世界に取り込まれてきた過程をお話ししましたが、リラクセーション法は実は、統合失調症の人はやらないほうがいいということがわかったんですね。やはり、統合失調症の方だと、中にあるものが溢れ出してくるということがあるのだと思います。だから、集中していくということの結果、起ってくるそういう反応みたいなものに、やっぱり充分気をつけていなくてはいけなくて、そこのところが充分にケアできないような状況でやると、過集中のような状態になって、さらにその反応がワッと出てきて悪化するというようなことがあったり、あるいいは怒りなんかがまたコントロールできないような状態になったりというようなことも起こるのだろうと思います。」(85頁)



(11)井上ウィマラ「マインドフルネス用語の基礎知識」『大法輪』(2020年3月号)

「魔境とは、瞑想体験の中で出会う神秘的体験によって道を見失ってしまう落とし穴を警告するための言葉です。光が見えたり、体が軽くなったり、エクスタシーやエネルギーの流れを感じたりするような神秘体験自体は集中力のもたらす効果なのですが、自覚できない微細な欲望が残っている場合には潜在している劣等感を補償するための無意識的な取引に使われてしまい道を誤ることになりやすいものです。そして権威的な人間関係の中での搾取や虐待をもたらす温床となる危険性をはらんでいます。」(88頁)



(12)貝谷久宣「マインドフルネスの注意点」『大法輪』2020年3月号

「(マインドフルネス訓練にあたり)自分を信じすぎるのは困りものです。瞑想中に光が見えたとか、神様が現われたといったような特殊な体験から自分は偉い人になったように誤解してしまうのは一番危険なことです。特殊な体験は魔境と言っています。このような状態は重要視しないほうが良いでしょう。とりわけ人格変容状態には気をつける必要があります。精神医学で診る人格変容状態は殆どが病的なものです。それにおぼれたり、こだわったりすることは強く避けるべきです。」(81頁)

「マインドフルネス訓練を行ってはいけない人は、真正の統合失調症急性期の患者さんです。自我が分裂する病気の人に自分を見つめさせると、病状が悪化する危険があるからです。ただし、慢性期の統合失調症の患者さんには適用することはできます。マインドフルネス訓練により陰性症状が軽快することが期待されます。

もう一方の禁忌の患者さんは心的外傷ストレス障害の患者さんです。この障害の患者さんに慈愛の瞑想をする場合です。幸福になって下さいと祈る相手が心的外傷に関連する人であると病状を悪化させる懸念があります。慈愛の瞑想では、祈ることが困難な対象は避けるように注意しなければなりません。」(83頁)





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